菊村 到 濡れ肌の迷路
目 次
第一章 寝乱れて殺人
第二章 悪魔の口は縦に裂けて
第三章 父と娘の秘儀
第四章 朱色の唇
第五章 レイプ集団
第六章 魔獣の肌
第七章 制服をぬぐとき
第八章 淫魔のように
第九章 女体の白い丘
第十章 妖 夢
(C)Itaru Kikumura
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第一章 寝乱れて殺人
まさに運命の悪戯というやつだった。
そんなところで別れた女にバッタリめぐりあうとは思わなかった。
場所は火葬場だった。
知合いの編集者が交通事故で死亡した。
折井芳夫はその葬儀に参列した。出棺を見送って帰るつもりだったが、誘われてマイクロバスに同乗し、火葬場まで行った。
いつもそうなのか、あるいはその日が特にそうだったのか、とにかく混みあっていた。
焼却炉の前に棺が置かれ、最後のお別れをしている時、となりの焼却炉のほうで女のすすり泣きの声が起こった。
遺影を見ると、まだ若い女性が黒いリボンのふちどりの中で微笑を浮かべていた。
そっちの参列者は若い女性が多かった。
何人もの女たちが泣き声をあげていた。
その中でなんとなく聞き覚えのある声が混じっているような気がした。
しかしべつに気にもとめなかった。
焼きあがるまで休憩所で待つことになった。
折井はビールを少し飲んでから、ひとりで庭のほうに出た。
よく晴れた午後で、誰かが、
「今日はお天気でよかったわね」
と言っていた。
火葬場の大きな煙突から煙がゆるやかに立ちのぼっていた。
ぼんやりその煙を眺めている時、
「あら」
という女の声を聞いた。
そこに黒いスーツを着た千佳子が立っていた。
「やっぱりそうだった。なんだか、あなたに似てるなと思ったけど」
千佳子はなつかしそうな笑顔を見せた。
千佳子とは一年ちょっと同棲したが、そのあいだに喪服を着たのを見たことはなかった。
「さっき泣いてたね。声でわかったよ」
「嘘でしょ。私、泣かないもの」
ほんとうに泣かなかったのかどうかはわからない。
しかし泣き声に聞き覚えのある声が混じっているように感じたのは、単なる気のせいだったのかもしれない。
「こういう場所で会うなんて、やっぱり縁があるのかしらね」
「くされ縁とか悪縁とかいうやつなんだろう」
別れて三年ほど経っている。
いっしょにいた時間よりも、別れてからのほうが長い。
「元気そうで何よりだ。喪服が似合うね」
「あなたも変わらないわ。でも誰かいるんでしょう」
「いないよ。女はもうこりた。ひとりでいるのが一番いい」
「嘘ばっかり」
千佳子はそう言ったが、嘘ではなかった。
折井芳夫はフリーのライターである。
三十五歳で一度、離婚歴がある。
妻の友達と浮気をしたのが、バレて夫婦のあいだにミゾができ、結局別れてしまった。子供はない。
千佳子は新劇の女優のタマゴで、小さなバーでアルバイトをしていて、その店の客だった折井と親しくなったのだった。
千佳子は初老の金持のスポンサーをつかまえて、折井から離れていったのである。
「そっちはどうなんだ? まだあのジイサマとは続いてるのか」
千佳子は笑いながら首を横に振った。
「前と同じとこ?」
「あァ」
「一度電話するわ。いろいろ話もあるし」
「どうぞ」
千佳子が折井のマンションに電話してきたのはその三日後だった。
同棲時代によく行った赤坂の中華料理店で食事をした。
「まだ怒ってる?」
「怒ってたら、こんなところにくるもんか」
「よかったァ」
「まだ芝居、やってるの?」
「やってるわよ。この前、ちょっとテレビにも出たんだから。単発のサスペンスものに。すぐ殺されちゃうんだけど。私って、薄倖な女ってイメージなのかしら。そんな役が多いの」
「薄倖じゃなくて薄情だろう」
「ひどい。やっぱり怒ってるんだ」
「怒ってやしない。少なくとも、きみは男に尽くすタイプじゃない。気まぐれで、身勝手で、浮気っぽくて、それでいて妙に男に好かれるんだ」
「つまり悪女なのね」
「悪女って言葉、ぼくは好きじゃないけど、まァ、悪女の部類に属するかもしれないな」
「私、自分でもそう思う。悪い女だなァって。でも、私みたいな女がひとりで生きていくためには、そうならざるを得ないのよね。このごろ、少しくたびれてきちゃった。ときどき、ふっとどこか遠くへ行きたいって思ったりするの」
「遠くへ?」
「へんな顔しないで。べつに自殺を考えてるんじゃないんだから。外国のことよ。少しまとまったお金を持って外国へ行って、一年でも二年でもぼんやりしてすごしたいって思うの」
「ぼくだって、そう思うよ」
「いっしょに行こうか」
本気なのか冗談なのかわからないが、千佳子の眼がキラキラ光った。
食事のあと、久しぶりにどこかで飲もうということになった。
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