菊村 到 闇に犯される女
目 次
第1話 幻の女
第2話 年上の女
第3話 殺される女
第4話 燃えない女
第5話 結婚したがらない女
第6話 よみがえった女
第7話 ひとり寝の女
第8話 私、悪い女
(C)Itaru Kikumura
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第1話 幻の女
高峰三枝子、木暮実千代と、このところ往年の名女優が相次いで他界した。
かつて熱狂的な映画少年だった石浦にしてみれば、いささかの感慨が胸に去来することになる。
大正末期から昭和初期に生まれた世代には、少年時代からの映画ファンというひとがかなり多い。
石浦もそのひとりである。
石浦は小説家だが、ハイティーンの頃は映画監督になりたかった。
当時、映画は娯楽の王と言われたくらいで隆盛をきわめていたが、映画監督の存在は一般的にはまだあまりよく理解されていなかった。
映画監督の名前などもほとんど知られていなくて、観客の大半はスターに惹かれて映画館に足を運んだ時代である。
今になってみれば、石浦は映画監督にならなくてよかったのかもしれない。もし、映画監督になっていたら、とうの昔に失業していたにちがいない。
石浦は昭和三十年代に小説家としてデビューしたのだが、その頃は日本映画も活気にあふれていた。
石浦の小説が映画向きだったのかどうかはわからないが、十本近く映画化されている。
それで映画界のひとたちとも多少のつながりができた。
石浦はスポーツや勝負ごと、ギャンブルのたぐいはだめだが、酒と女は大好きで、気の合った映画人たちと、よくあちこち遊び歩いたものだった。
その後、映画産業は信じられぬくらいの速度で地盤沈下してしまい、自然に映画人たちとの付き合いも疎遠になった。
石浦自身、このところ何年も映画館には足を向けていない。と言って、映画そのものを見なくなったわけではない。
テレビで放映されるものやビデオはよく見ている。
映画館に出かけるのが億劫になってしまったのである。これも老化現象なのかもしれない。
その日、石浦は新聞に眼を通していて、思わず嘆息をもらした。
年のせいか、この頃は死亡記事によく眼を向ける。
その日の朝刊には、ひとりの映画女優の死が報じられていた。
吉野みどりという映画女優が食道腫瘍で死んだというのである。五十三歳。
吉野みどりは、高峰三枝子や木暮実千代のようなスターではない。
新聞の扱いも、じつに簡単なもので、いわゆるベタ記事である。
吉野みどりといっても、今の若いひとにはほとんどなじみのない名前だろう。
かつては、主演級の女優として何本かの映画に出演したことがあるのだが、あまりパッとしなかった。
それでしばらくは、わきにまわっていたが、いつとはなく消えてしまった。
そういう女優は大勢いる。ときどき古い映画がテレビで放映されるのを見て、
(そういえば、こんな女優もいたっけ)
と思ったりする。
吉野みどりも、そういう女優のひとりである。
映画がだめでも、テレビのほうに転向して、活躍するというケースもあるが、吉野みどりをテレビで見ることもまったくなかった。
石浦が吉野みどりの訃報に接して、嘆息をもらしたのには、それなりの理由がある。
昔、石浦は柴沼というプロデューサーと親しく付き合っていた時期がある。
柴沼は石浦よりも数年、年長で口八丁手八丁のいわゆる活動屋タイプの男だった。
「ぼくは石やんのファンやからね」
というのが、彼の口ぐせで、事実、石浦の小説をよく読んでいて、三本映画化してくれた。
柴沼は東京生まれなのだが、京都の撮影所にいた時期が長くて、ときどき関西弁が入ってくる。
へんになれなれしくて、調子のいいことばかり言うので、初め石浦は何となくうさん臭いものを感じていたが、妙に憎めないところがあって、気がついたら、遊び仲間になっていた。
映画界が景気のいい頃で、柴沼は、仕事の関係がない時でも、電話をかけてきて、食事に誘ってくれたりした。
その柴沼がある日、銀座の小料理屋で、
「石やん、吉野みどりって女優、知ってますやろ」
と言った。
もちろん名前は知っていたし、彼女が脇役で出たのを見たこともある。
「ああいうタイプ、石やんの好みとちがいますか」
そう聞かれて、石浦はちょっと返事に困った。
好みのタイプというわけではないが、嫌いではなかった。
「そうね、嫌いじゃないですね」
「抱いてみたいと思いませんか」
「思わないこともないけどさ、そんなこと考えるだけばかばかしいよ」
「いや、マジな話ですよ。石やんにその気があるなら、ぼく、話をつけます」
柴沼は、にこりともしないで言った。
柴沼はこういうことにかけては、妙にまめなところがあった。
一年ほど前、石浦は柴沼といっしょに海外旅行に出かけた。
「石やん、コペンハーゲンを舞台にサスペンス映画を撮りたいんやけど、原作を書いてくれませんか」
柴沼がそういう話を持ってきた。
レディメイドの小説を映画化するだけではあきたりなくて、当時映画会社では、はじめから映画化を前提とした小説を作家に依頼するというようなこともやっていた。
映画化という枠があるだけに制約も多く、わずらわしい仕事だが、石浦はもともと映画監督になりたかったくらいだから、すぐ承諾した。
それで、いわゆるシナリオ・ハンティングにコペンハーゲンに行くことになった。
「それにしても、なぜコペンハーゲンなんですか」
石浦が聞くと、
「ぼくの大学時代の友人がコペンにいるんです。商社マンでね、そいつが遊びに来い言うてきたんです」
「それだけのこと?」
「それだけや」
要するに柴沼は、自分がコペンハーゲンに遊びに行きたいために、適当な名目を作って、会社のおえら方をくどき落としたらしい。
柴沼にはその種の政治力もあったようだ。
そういうものがなければ、映画のプロデューサーなど、務まらないのだろう。
「白人の女を抱きましょう」
打合わせの時、柴沼はそれを強調した。
白人コンプレックスを克服するための、もっとも効果的な妙薬はそれしかない、というのが柴沼の言い分だった。
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