高山銀之助 不良志願・中学校長
目 次
〈1〉 勃 起
〈2〉 痴 漢
〈3〉 生 徒
〈4〉 接 吻
〈5〉 不 能
〈6〉 孤 独
〈7〉 初 験
〈8〉 疑 惑
〈9〉 裸 像
〈10〉 心 意
〈11〉 射 精
〈12〉 恐 怖
〈13〉 性 病
〈14〉 障 害
〈15〉 回 春
〈16〉 花 火
(C)Ginnosuke Takayama
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30年来の恋女房にも
三年前から付き合っている30歳の女にも
せがまれても勃起しなくて
ソープランドに行ったら三回も勃った
還暦のK・T君に
〈1〉 勃 起
風が舞い降りてくる。
満員電車の中ではなによりもうれしい冷気だった。
どうせ終着駅まで立ったまま乗っていくのだから、奥のほうに入って吊革に掴まりたいのだけれど、いつもドアの近くで身動きできなくなってしまう。
それでも今朝はついていた。エアコンの冷風の下に身を置くことができた。
風は、車内の熱気を和らげてくれるだけでなく、苛立つ気持ちも慰めてくれる。もっとも、それでも縛りつけられたように手足の自由は奪われ、そのまま三〇分は新聞も本も読めない状態でじっとしていなければならない。中吊りの広告だけが唯一退屈さを救ってくれるものだった。
有り難いことに、それは、テレビを見たり、週刊誌を読む機会があまりなくて世間知らずになりがちな私に、政治や経済、社会のことばかりでなく、スポーツから芸能界のことまで教えてくれた。新製品、事件、事故、今いちばん人々が興味を持ち、問題にしていることなども知ることができる。
退屈しのぎに見るものというよりも、むしろ私にとっては必要情報を提供してくれるものであり、社会の窓である。
〈不倫か――〉
広告文を目で追っているうちに、ふっと不倫という文字から、今日の午後、PTA会長の森下が学校にくることになっていることをおもいだした。
〈本当に、教頭の笹岡は、栄養士の牧田峰子と不倫しているのだろうか〉
森下が電話を掛けてきたときは「馬鹿な噂をする者がいるもんですな」と笑って打ち消したが、単なる噂であっても、そのためにわざわざ森下が学校に来る以上は、どうして噂になったのか、あらかじめ笹岡に話しを聞いておかなければならないだろう。
私は一年前に区立中学校の校長に就任したとき、定年までは何事もなく、経歴にキズがつくことなく無事に勤めあげたいと祈った。
できるだけ面倒なことに巻き込まれたくない。特に教職員が生徒たちと問題を引き起こしたり、マスコミに取り上げられるようなことを起こさないで欲しかった。
校長になると誰でもそうなるらしいが、私も教頭のとき以上に神経質になり、保守的で、事なかれ主義になったようだ。
就任前に覚悟していた以上に、校長という地位の窮屈さを感じないではいられなかった。企業でいえば社長と同じようなものだと先輩たちはいっているけれど、社長以上に重圧があり、自由は束縛され、倫理が要求されるのではないだろうか。社長の浮気は、男の甲斐性だなどと大目に見てもらえることもあるけれど、校長はとんでもない。誰も大目になど見てくれない。
常に自分の所在を学校側に明らかにしておかなければならず、学校のほうから連絡がとれないようなところにいる場合は、一時間ごとに電話連絡しなければならないのだ。今は携帯電話という便利なものがあるけれど、それでも自分のほうから電話を掛けて、なにかあったかどうか確認しなければならない。
しかも、いちいち自分の行動を監視されているように感じ、どこにいても人の目を意識させられる。生徒たちばかりではない。教職員をはじめとしてPTAの父母の目が光っている。さらに卒業生も自分たちが卒業した学校のことはなにかと注目している。
自分でも気が付かないようなほんの些細な癖まで指摘され、町中を歩いていれば、いつ、どこを、どんな格好で歩いていたかまで大勢の人に知れわたる。四六時中カメラで狙われているタレントよりも厳しいかも知れない。
社会的な地位や責任も教頭のときと比べたら格段の差があり、面と向かって話しをするときの相手の態度も異なる。尊敬されるのは気分のいいことだが、校長という肩書きがついただけで、誰からも敬遠され出したように感じる。
平常付き合っている近所の人たちの態度も変わり、町内会の役員を頼みにきたり、行事があれば招待されるようになった。そんなことは教頭のときには絶対になかったことだ。
考えてみると、妻の利恵の様子も変わったようにおもう。もっともそれは、彼女自身が校長の妻らしく振る舞おうとしているせいかも知れないが。
強いていえば、私が校長になっても、まったくその態度が変わらなかったのは、幼友達で小学校から中学まで一緒に通い、高校は別々の学校だったけれど、今でも付き合っている佐田一郎と、由多香のママの志香子だけだ。
佐田は私が校長になったというと「たいへんだな」と同情してくれただけであり、志香子は「あらそう。よかったじゃない」といってくれただけだ。
しかし、校長になって、どんなに事故がないように願っても、毎週なんらかの事故は起こり、職員会議に持ち出されるような問題が必ず発生した。どんなに注意していても、すべての生徒に目が届くわけではない。問題児といわれる生徒もいる。なにしろ生徒数は四五〇人で、用務員や給食関係者を含めると教職員が三〇名以上いるのである。
校長としては、問題が起こったときに、どのように素早く対処できるかということが重要だった。
それは、如何にごまかすかということである。外部に漏れないように、できるだけ学校内で問題を処理してしまえばいいのだ。それができれば校長の責任は追及されず、務めを果たしたことになる。
私も、次第に校長先生と呼ばれることに馴れてくるにしたがって、さほど神経質にならずにすむようになり、ずるけることも、相手を巧みにごまかすこともできるようになった。
校長になったばかりの頃は、満員電車の中でも、誰に見られているか分からない、なにも起こらなければいいなと周囲のことが気になったものだが、それも最近はまったく気にしなくなった。中吊りの広告を見たり、今日の予定や、教師や生徒たちに伝えなければならないことを頭の中で検討したりして、窮屈さだけを堪えていた。
だからこの日も、笹岡の不倫の噂をどう処理しようかと考えはじめたのだが――。
五月の中頃のことだった。
外はぽかぽか陽気で、まだ早いような気がするけれど女性は肌も露な薄着になっている人のほうが多かった。
「辛いだろうな……」
横の青年が、背伸びしたり、腰を下げようとしたり、妙な体の動かし方をするので、近くにいる女性にいたずらでもしかけているのではないかと横目で見たとたん、私は吹き出しそうになって、慌てて堪えた。堪えたけれど頬は自然に緩んでいた。彼のほうからすれば笑われたとおもったかも知れない。
この日は朝から私は気分がよかった。
昨夜、久しぶりに利恵を愛したのである。その前に彼女を抱いたのは春休みのときだったから、二ヶ月以上たっていたかもしれない。そのせいかどうか、今朝の利恵も機嫌がよく、朝食の目玉焼きが、私の好みにぴったりの焼き加減だった。盛り上がった半熟の黄身に唇をくっつけて、ずるずるっと音をたてて吸い込むことができた。単純なことだが、一気に黄身を吸い込むと、なんとなく今日は元気だという気がする。
周囲のことを気にしたり、満員電車の中で話しかけるなどということは滅多にないことだったが、気分的に多少弾んでいたのかもしれない。他人の不運をつい笑ってしまい、彼にいっそう不愉快な気分にさせたのではないかとおもって、すぐに同情していることを伝えた。
「もう少しの辛抱だ……」
風に流され、女性の細く長い髪の毛が、ときどきふわりと舞って、彼の顔をすうっと撫でていく。青年はその度に顔をしかめ、くすぐったさを懸命に堪えている。可哀想に、今にもくしゃみをしそうだった。
しかも彼が堪えているのは、なにもくすぐったさだけではないらしい。
若い男性だったら誰だって、女性の髪の毛で、頬を、鼻の頭を、唇を、そっと撫でられたら、その匂いや感触によって性的な官能を強烈に刺激されるに違いない。彼の男性自身はきっと硬く反り返っているだろう。もしかするとズボンに突っかかり、痛くて、なんとかそれをずらそうと苦労しているかもしれない。
彼女の背丈は青年と丁度同じくらいである。顔は見えなかったけれど、服装の様子では二〇歳前後のOLのようだ。
彼は顔を左右に動かし、襲いかかってくる髪の毛から逃れようと懸命に努力しているが、ぎゅうぎゅう詰めの車内で、その髪の毛から逃れることは、針の穴にロープを通そうとするくらい難しい。彼女から体を離すためには、彼と彼女を押しつぶしている車内の人のすべてを腕ずくで相手にしなければならない。そんなことは不可能だ。
もっとも彼女にしても悪気があって彼を苦しめているわけではない。たとえ注意されたとしても、彼女だって身動きできない状態である。
もしかすると、後ろでもぞもぞされて不愉快におもっているかもしれない。痴漢かもしれないと身構えているかもしれない。
私は、自分が少しでも体を動かすことができれば、彼を地獄の責め苦から救ってやることが出来るのではないかと考えたが、とてもとてもそんな余裕のある空間など、私の周りにもあるはずがなかった。
通勤快速電車は、いくつかの駅を素通りして、一定の速度を保って走っている。速度に変化があれば車内の人たちも少しはぐらつき、その機会に体を多少は移動させられるけれど、次の駅に着くまではブレーキがかかることは望めないし、この区間はほとんど極端なカーブはなかった。
青年は今年大学を卒業したばかりのサラリーマン一年生のような感じだった。まだ通勤電車に馴れていないのだろう。電車に押し込まれたとき、女性の髪の毛が風に舞うことなど予測していなかったに違いない。むしろ女性の背後に立てたことを喜んでいただろう。しかもエアコンの冷気が吹き降ろしてくる場所に立てたのだ。私と同様、今日はついているとおもったに違いない。
私はもう少しの辛抱だとはいったものの、彼が辛そうで、気の毒でならなかった。なんとか髪の毛の攻撃から救ってやれないものだろうかとおもい、足元は動かせなかったけれど、肩をひねり、上体を横向きにして彼の体を移動させてやろうと試みた。青年も私の意図を悟ったらしく、上体と顔を横にしかけた。ところが彼の動きにつられたように、彼女も彼に密着したまま動いてしまい、折角の私の好意は効果がなかった。
効果がなかったばかりか、私のほうが、おもってもみなかった窮地に立たされてしまった。
上体を横にしたとき、私の肘が後ろにいた女性の、柔らかな、ふっくりと盛り上がっている乳房を、服の上からではあったけれど、押しつぶしたのである。
それは明らかに体のほかの部分とは感触が異なり、その位置からして、乳房であることは間違いない。柔らかで弾力があったから、彼女が動けなくても私の腕のほうがそのふくらみの中にめり込んでいったのである。しかも、どうやら相当その乳房はボリュームがありそうだ。
ドキッとした。〈まずいッ――〉
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