勝目 梓 悪夢の秘蹟
目 次
一章 波崎裕一郎の告白手記(I)
二章 中谷千佳子の日記(I)
三章 波崎裕一郎の告白手記(II)
四章 中谷千佳子の日記(II)
五章 波崎裕一郎の告白手記(III)
六章 中谷千佳子の日記(III)
七章 波崎裕一郎の告白手記(IV)
八章 中谷千佳子の日記(IV)
九章 波崎裕一郎の告白手記(V)
(C)Azusa Katsume
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一章 波崎裕一郎の告白手記(I)
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殺人の告白をします。
自己弁護のために嘘をついたり、都合のわるい事実を隠したりはしないつもりです。冷静で、できるだけ客観的な記述を心がけます。
一九九一年八月四日(時刻は午前零時半から一時ぐらいの間だったと思います)に、私は池袋のミルキーウェイというラヴホテルの一室(部屋にはそれぞれ星座の名前がつけられていましたが、その部屋の名前は思い出せません)で、ミユキという名前のコールガールを殺害しました。
ミユキという名前は、彼女の売春の仕事の上での通称で、ミユキが本名を鈴木美和子さんという二十二歳の女性だったことを、事件を報道した新聞の記事で私は知りました。
ミユキを殺すことになる以前にも、私と彼女との間には、コールガールと客との関係が、五回ほど持たれていました。いわば私は、ミユキの馴染みの客の一人だったわけです。
ミユキのような仕事をしている女たちが、本名とは別の、いわゆる〃源氏名〃を名乗ることが多いのは、むろん私も知っていました。けれども、私がベッドを共にし、揚句に命を奪った相手は、私にとってはミユキという名前の女でしかありえず、彼女に鈴木美和子という本名があったことを知ったとき、私は奇妙な戸惑いを覚えました。
その戸惑いは、やがてなんともいえない滑稽感を私の中に誘い出してきて、私は暗い笑いを、ひとりで笑いころげました。
ミユキの本名を知った私が、どうしてそのことに戸惑ったり、滑稽な感じを抱いたり、笑いころげたりしたのか、ということは、説明しなければ誰にもわからないはずです。それは私自身のきわめてプライベートな事情のからんだ事柄だからです。
しかし、いまの私にはまだ、それをどういうふうに説明すればよいのかわからないのです。告白を進めていく中で、おいおいそれがわかってくるような気がします。ここではただ、私が母に、裕一郎という本来の名前をもじった〃裕子〃という女性名で呼ばれることがあったことだけを記しておきます。
ミユキの本名を知ったとき、最初に私の頭に浮かんできたのが、母が女の名前で私を呼んでいたという、そのことだったのです。
ミユキは大柄な女でした。立派な乳房と尻を持っていました。彼女の陰毛はやわらかくて、温かい手ざわりを備えていて、その下の外陰部の肉づきも豊かでした。
そういう体つきの女性が、私にとっては危険な欲望の対象になることは、以前から自覚していました。二十数年前に、影山葉子を知ったことで、私はそれを自覚しました。
しかし、ミユキは、大柄な体つきや、立派な乳房と尻と、やわらかくて温かい陰毛と、肉づきのよい性器を所有していたために、私の殺意を誘い出してしまったわけではありません。それらも彼女の悲運の遠因ではありましたが、直接の引き鉄となったわけではないのです。
ミユキは、私が最初に彼女の客となったときに、私の素性を見破りました。私のほうは素性を知られたくはなかったので、ちょっとした変装をしていたのです。変装は、相手のコールガールの眼を欺くためもありましたが、それよりもラヴホテルのフロント係の眼や、そこに出入りするときの通行人の眼を気にしてのことだったのです。
ホテルの部屋に入るまでは、私の変装はいつも本格的なものでした。鬘、付け髭、含み綿、ちょっとしたメイクアップなどで、私はすっかり顔の印象を変えていました。
けれども、そのままでコールガールを抱くわけにはいきません。ベッドの上で抱き合えば、それが鬘や付け髭であり、メイクアップが施されているのだ、ということもわかってしまいます。
最初のとき、私はホテルの部屋に入ると、すぐにそれらの変装を解き、髪形を変えて、伊達眼鏡をかけただけの細工で、ミユキが来るのを待っていました。私はキャリアの長い俳優ですから、素顔とは別の顔を作ることにかけては、いわばプロです。髪形を変え、眼鏡をかけただけの細工でも、表情や声や話しぶりなどで工夫を加えれば、相手の眼を欺く自信はあったのです。
たとえ欺けなくても、相手がコールガールなら、チップをはずんだりして、口止めをすることはむずかしくはないはずだ、と私は思っていました。
そんなことまでして女を買うことはないじゃないか、と人は言うでしょう。私自身も、何百回となく、同じことを自分に言い聞かせました。けれども、逆らいようのない暗い想念と理不尽な力を備えたものが、私を駆り立てていたのです。それがどういうものなのか、ということはおいおい述べるつもりです。
初対面のミユキは、部屋にやってきて、まだベッドにも入らないうちに、私の名前(私は芸名を持たず、本名で仕事をしています)を言い当て、私が出演している放映中のテレビの連続ドラマを欠かさず見ている、と言い、さらに私が出演していた映画や、他のテレビドラマの題名を、つぎつぎに並べ立ててみせたのです。そして、半ばはお世辞のつもりからでしょうが、彼女は私のファンだ、と言いました。
私は主役を張る役者ではなくて、脇役で名前と顔を広く知られるようになった男です。それだけにかえって、仕事の場が多く、カメラの前に顔をさらす機会も多かったのです。見知らぬ人に声をかけられて、ファンです、と言われることも、私には珍しいことではありませんでした。
ミユキに簡単に素性を見破られたとき、私はそれを否定することもできたはずです。他人の空似で、よく波崎裕一郎とまちがえられるのだと、恍けてしまえばすむことです。
けれども私は、そうはせずに、ミユキの言ったことをあっさり認めて、すぐにたくさんのチップを彼女に渡して『これは二人だけの秘密にしておこうね』、と彼女の耳に囁きました。
そのときすでに、私の心の中では、殺意が芽生えて、揺れ動いていたのです。それは、ミユキに素性を見破られたためではありません。初対面のミユキは、着ている物を脱ぐ前から、大柄でグラマラスなその体つきと、いくらか気性のきつそうな印象を受ける美しい顔立ちとでもって、私の中の暗い衝動を刺激していたのです。
そのことは、ミユキにとっては取り返しのつかない不運であり、私にとっては、よくもわるくも運命そのものだったと思います。私は、呼び寄せたコールガールが、もし自分の思い描いたイメージに重なるような相手だったら、おそらく衝動にあらがうことはできないだろう、という予感を抱いてミルキーウェイに行ったのです。
そうした私の予感の前では、ミユキは理想的な生贄として、私の眼に映ったのです。生贄の存在によって、私の狂った欲望ははげしくそそられ、それが私の理性を踏み砕き、六回目に顔を合わせたとき、ついに衝動が爆発したのでした。
初めてのときから、最後の六回目のときまでは、私にとっては抑圧と誘惑の連続でした。その両者のせめぎ合いが、私の欲望を異常に昂まらせました。私の欲望のはげしさが、ミユキを仕事を忘れて夢中にさせてもいました。そして、そのことに夢中になって酔い痴れているミユキの姿が、私の狂った欲望を煽り立ててくる、といったふうでした。
私はミユキの豊かで張りのある乳房を手ではずませ、頬ずりし、形も色も熟れた桑の実によく似た乳首に舌を当て、唇で吸い、指でころがし、といったことをつづけながら、頭の中ではその乳房を胴体から切り離すために、刃物を入れていくときのことを想像していたのです。
一見したところでは、ごくありきたりの私の愛撫の行為は、一方では邪悪で冷酷な眼による、生贄の品定めに通ずるものでもあったのです。
できることなら、私は心の中でふくれあがり、荒れ狂っているその欲望や衝動を、なんとか抑えこみたかったのです。それを抑えこむためには、思いっきり淫らで、いくらかは異常な気配を漂わせる性愛の行為によって、毒をうすめるしかなかったのです。
すくなくとも、それ以外のことは私は思いつかなかったのです。意志や理性の力は、ほとんど何の役にも立ちそうもなかったのです。私を突き動かしてくるのは、ミユキの見事な乳房を切り取り、肉づきのいい性器を切り取り、ふくよかな白い腹を切り裂いて、子宮を決り出したい、という欲望でした。
私の歪んだ心そのものが生み出す毒の塊りのような欲望ではあるけれども、その瘴気のようなものを、他の形にすり替えて、小出しに放出していけば、破局は回避できるにちがいない、と軽率にも私は考えてしまったのです。
けれども、それは大きなまちがいでした。小出しにするつもりで私が少しだけゆるめた蛇口は、毒そのもののタンクに取り付けられた蛇口とは別のものだったのです。別のタンクの蛇口をゆるめたからといって、こっちのタンクの中の毒が小出しに減っていくわけはなかったのです。
それどころか、別のタンクの蛇口を小出しにゆるめることで、かえって逆に私は毒の詰まっているタンクの内圧を高めている結果になっていることに、気がつかなかったのです。
それとは別に、私に異常な欲望の充足を夢見させるものが、ミユキのほうにもあったのです。ミユキは、毒をうすめるつもりで私がしかける淫らな、いくらかは異常の気配を漂わせる性戯を無抵抗に受け入れたばかりか、そのことに酔い痴れていたのです。
ミユキのそうした性的なキャパシティの大きさは、相当に異常な行為に出ても警戒されずにすむのではないか、という期待を私に抱かせました。
だからといって、ミユキが殺されるに至ったのは、彼女のそうした性的な節度のなさにも原因がある、などと言うつもりは私はありません。何をどうされようと、ミユキが私に殺されることを望んでいたわけは絶対にないのですから。あくまでもこれは、ミユキの性的なキャパシティの大きさを、私が都合のよいように解釈し、幻想を抱いた、ということでしかないのです。
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