官能小説販売サイト 勝目梓 『悪(わる)党』
おとなの本屋・さん


勝目 梓    悪(わる)党

目 次
いいげんにしろ
めるんじゃねえ
まってたまるか
たまったもんじゃない
ふざけるな

(C)Azusa Katsume

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   いいげんにしろ

     1

 電話が鳴っていた。
 おれはベッドの中にいた。
 すぐには目が覚めなかった。ハムスターが車をまわしている――夢うつつにおれは思っていた。電話の音が、ハムスターの籠の中の、羽根車のまわる音に聴こえたのだ。
 電話とわかって、おれははね起きた。仕事が入った、と思ったのだ。
「便利屋のです……」
 おれは応答した。声はけてなどいなかったはずだ。さわやか、とまではいかなかったとしても……。
「便利屋の芳賀れんろうさんですか?」
 女の声が受話器にひびいた。このほうは文句なくさわやかだった。念を押すような言い方だった。おまけにおれのフルネームを口にした。珍しいお客だ、とおれは思った。
「私が芳賀ですが……」
「あなたのところは、どんなお仕事でも引き受けてくださるんでしょう?」
「赤ん坊のおむつ洗いから、葬式のお手伝いまで、法律に触れること以外はなんでもやらせていただいております」
「お願いできるかしら?」
「どういうご用でしょう?」
「うちに来てくださればいいんです」
「うかがいますが、どういうことで手が必要なのか、それをうかがっておきませんと。準備の都合もありますので」
「準備なんかなにもいらないと思いますよ」
「よくそうおっしゃるお客さまがいらっしゃるんですが、プロの立場から申しあげますと、どんな仕事にもなんらかの準備が必要なものなんですよ」
「いま、どんな仕事か言わなきゃだめ?」
 女のことばつきが変わった。甘えともびともつかない、粘っこい感じがあった。
「こちらもいろいろと都合がありますんで」
「ちょっと言いにくいの……」
「言いにくい仕事ですか?」
「ことばじゃねえ」
「かまいません。仕事の選り好みをしていたら、便利屋という商売はやっていけません」
「うちに来て、坐って見ててくださればいいの」
「なにを坐って見るんですか?」
「寝室の光景を、と言えばいいのかしら」
「シンシツノコウケイ、ですか」
 女の言ったことばの意味が、おれにはすぐにはわからなかった。
「あなた、おいくつ?」
「三十二になりますが……」
「三十二じゃ、ちょっと辛い仕事になるかもしれないわね」
「見る仕事がですか?」
「そう……」
「視力はいたって強いほうなんです」
「はっきり言うわね。言いにくいけど。からかわれてるなんて思わないでね」
「まじめにうかがいます」
「主人が妙な病気にかかってるんです。で、あたしと主人の夜の営みを見ててほしい、とそういうお願いなの。恥ずかしいことを打ち明けたんだから、引き受けてくださるわね」
「おどろきました」
「主人は、誰かが見ててくれたら、きちんと男の役を果たせそうだ、と言うんです。あたしはそんなこといやなんだけど、主人がいつまでも男の役を果たせないでいるのは、もっといやだから、思いきって試してみる決心をしたんです。わかってくださるわね」
「よくわかります。お気の毒に……」
「もちろん、断わったりなさらないわね?」
「たいへんユニークな種類のご依頼ですが、お引き受けしましょう」
「ありがとう。お礼ははずむわ。で、今夜早速お願いできますか?」
「うかがいましょう……」
 電話を切って、おれはあらためてメモを眺めた。ユニークな依頼人の、住所や名前などを控えたメモだ。
 たん、グリーンマンション九〇七号、五十嵐いがらしてる――。
 おれはメモを見ながら、五十嵐輝子の電話の声を思い返してみた。まだ若い感じの声だった。二十代後半から三十半ば、といった見当だ。四十にはなっていまい、と思えた。
 おれは便利屋を開業して三年半になる。要するに雑用屋だ。いろんな仕事をしてきた。ドブ掃除、犬の散歩、草むしり、老人の話し相手、猫の死骸の始末、引っ越しの手伝い、キャッチボールの相手、お使い、行列の番取り、大掃除の手助け……。
 だが、夫婦の夜の生活を見ていてほしい、などという依頼ははじめてだ。おれは便利屋という仕事の多様性を、あらためて痛感させられた。この仕事の将来に、希望すら覚えた。まだまだいける。そう思ったのだ。
 時刻は午後一時だった。夜までは仕事はない。眠気が残っていた。おれはまたベッドにもぐりこんだ。
 温かいベッドの中に、いくの肌の匂いが残っている気がした。郁美は久しぶりに泊まりに来て、朝の十時に出ていった。そのあとでおれはもう一度眠ったのだ。眠る前にも郁美の肌の匂いが、ベッドの中に残っている気がした。その匂いは、郁美が帰っていったあとのほうが濃く感じられた。
 郁美とおれは、三年半前に離婚した。離婚の理由を説明するのは難しい。なんとなくそういうことになった、というのが実感だ。糊ががれて、くっつけてあったものが二つに分かれてしまった、とでも言おうか。要するに二人とも一緒に暮らすことに飽きたのだ。どっちかが相手を裏切ったなどというのじゃない。そんなドラマティックなことは、何ひとつなかった。残念ながら……。おれたちには子供もいなかった。
 離婚したあとも、おれたちはいまだに、気が向けば会って、食事をし、酒を飲み、ベッドを共にする。愛人同士といった感じがないでもない。別れたかみさんを愛人にするのが、あほくさいことかどうか、おれにはわからない。気ままな関係であることは確かだ。それはわるいものじゃない。
 郁美と別れるのとほとんど同時に、おれは刑事の職もめた。刑事を辞めた理由を説明するのもむつかしい。
 たぶんおれは、気ままに生きたい、と思いはじめたのだ。そう思うようになったのは、郁美と離婚したせいだ。それははっきりしている。人生なにも四角四面につとめなきゃならないものじゃない。別れた女房を愛人にしたからといって、人道にもとるわけじゃない――そう考えたら、おれは気が楽になった。気楽に、気ままに生きよう、そう思うようになった。
 その思想は、刑事向きではない。その日暮らしの思想だ。おれはそれが気に入った。ついでに、仕事もその日暮らしの思想に適したものを選ぼうと考えた。
 その結果が便利屋という商売だった。要するに雑貨屋だから、仕事に一貫性がない。何をやらされるかわからない。ゆきあたりばったりだ。欲が出るほど大儲けできる心配もない。おれは便利屋という商売が気に入った。郁美と分けた、わずかばかりの貯金の取り分、退職金その他で、ひがしちゅうに小さなアパートを借り、電話を引き、小さな新聞広告を出し、チラシをつくり、看板を出した。
 そうやって、おれの気楽で気ままな暮らしがはじまった。同居人はおすのハムスター一匹である。ハムスターは、引っ越しの手伝いに行った先で、無理やり押しつけられたのだ。相手は飼うのに飽きたらしい。おれと郁美の離婚の事情に、似ていなくもない。そう思うと、おれはハムスターに親しみを感じた。
 ハムスターのほうは、おれにどんな気持ちを抱いているのかわからない。奴は、ひまさえあれば、といった感じで、夜でも昼でも、籠の中で羽根車をまわしている。それがハムスターの生の目的だ、というふうなマジメな顔つきで……。
 
 
 
 
〜〜『悪(わる)党』(勝目梓)〜〜
 
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