まどかゆき 奥様の停車駅
目 次
奥様の停車駅
妖しい関係
マイロード
若草・濡れ着付け
あなたが欲しくて
東京淫獣ジャングル
プレイガールナース
蠱惑のデビュー作
(C)Yuki Madoka
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奥様の停車駅
1
最近、橘有希はある大切なことに気づいた。
人生には道草がとても必要だということに。
二十二歳で結婚してはや七年。川の流れのようにあわただしく過ぎゆく時間の中で、ふと立ち止まって樹木の匂いを嗅いだり、美しい花を観たり、心地よいそよ風に身を任せてみたり……それが生きるということなんだと。
大事なのは豊かな生活よりも豊かな心を持つこと。無意味な永続より価値ある一瞬なんだということに。
六歳になる息子を夫に預け、高校時代の友人二人を誘って二泊三日のツアー旅行に出かけたのも、そんな人生の道草を満喫するためだった。
だが、いま彼女の目の前にいるふたりは、優雅な旅情の気分などどこ吹く風、窓の外に広がる京の嵯峨野の春景色すら見ようともしない。
バスのシートにもたれて、ぐっすりと眠りこけているのが矢島晶子こと通称、ノッコ。身長が百七十二センチと高くて細身、性格がのんびりしているのでノッコ。公務員の職につき、いまだに独身。
もうひとり、おせんべいをかじりながら週刊誌を目にして、暇さえあれば口を動かしているのが真野彩実こと、ポチャリン。文字通り、ポッチャリと太っているからの愛称である。結婚三年目の彼女にまだ子供はいない。
あきれた友人たちをよそに、有希は春の陽光を浴びた若葉のすがすがしさに一人感激していた。
同じ景色でもそのときの気分によって、こうもちがって見えるとは……。
幸も不幸も自分の気持ち次第とはよくいうけれど、有希も本当にそうだと思う。
京を旅するのは二度目だった。一度は二十一歳になったばかりのころ。歌の文句にもあるとおり、恋に破れた女のひとり旅だった。
あのころ眺めた嵯峨野の景色は、春先にもかかわらず、薄紫色をしていた気がする。
(結局、あれが独身最後のひとり旅だったのよねぇ)
失恋の翌年、幼なじみだった夫と街で偶然再会して、ぬくもり欲しさに肌を重ねた。一年後にゴールイン。できちゃった結婚だった。やがて息子が誕生して、現在はごく普通の専業主婦である。
しかし息子も今年、小学校に入学。子育てが少し落ち着いたところで、なんとなく心にすきま風が吹くようになった。
(なんだろう、このむなしさは。人生、まだまだ長いし、こんなところでブレーキをかけて停車なんかしていられないというのに)
そういった気分を吹き飛ばしてくれたのが夫の一言だった。
「いや、人生に停車駅は必要だよ。来年、三十歳になる継ぎ目として、気分転換にもなるから、ちょっくら旅行でもして道草してこいよ。子供のめんどうは俺が見てやるから」
「そうね、そうよねー」
その言葉を耳にしたとたんに、心の中にくすぶっていた霧がパッと晴れたような気がした。
さっそく旅のパンフレットをと思っていたところに、たまたま友人のノッコから電話がかかって意気投合。
「旅行、いいわねぇ。あたしも近ごろなんだか退屈で……。それならポチャリンも誘ってみましょうよ」
ノッコの意見でポチャリンにも声をかけて、女三人連れの京都・奈良の観光ツアーに申しこむことになった。
出発当日、集まった旅行客たちのほとんどがシルバーカップルという感じで、その中でとくに目立ったのが、若い男性の三人連れだった。二十歳は過ぎているように見えたが、大学の仲間か、高校時代の同級生か、といった印象だった。
有希たちのグループ同様、痩せたのと少し太めと、中肉中背という顔ぶれだった。特別カッコいいというわけではないが、ツアー客の中では若手ということで目立っている。
「京都なんて修学旅行以来だわ」
ポチャリンがふいに週刊誌から顔を上げてつぶやく。
「だったらもっと楽しめば」
「えっ、これでもじゅうぶんに羽根を伸ばしてるつもりだけど」
「だって、お菓子なら家にいたっていつでも食べられるじゃない」
「そうねぇ。どうせなら、もっとおいしいものがいただきたいわねぇ。たとえば……うふっ」
年下好きの恋多きポチャリンの視線が、斜め前に座った三人連れの男の子たちに注がれる。目を細くして、口もとをニヤリをほころばせながら、「くっ」なんて含み笑いを浮かべている。
(まったくどうしようもないわね。女もここまでくればもう終わりかしら)
有希は大きなため息を衝いた。
昼食のあとは自由行動になった。
大覚寺、清涼寺などをまわり、茶屋で休憩をしていたところに、例の三人連れの男性たちがやってきた。中肉中背の彼がカメラと三脚を手にしている。
「撮りましょうか」
そう声をかけて、高価そうなカメラのレンズをこちらに向けてきた。
旅の一番いいところは、知らない者同士でもすぐに会話がはずんで仲良くなれることだ。
「撮ってくれます!」
おでんのコンニャクを口に、月見だんごを手にしていたポチャリンが喜んで立ち上がった。
「あっ、そのままで」
「は?」
ポチャリンが一瞬、目を丸くして首を傾げた。そこで、いきなりシャッターが押された。
「いやあ、これは最高」
男の子が白い歯を光らせて笑う。すてきな笑顔だった。
一方、まさかそんなまぬけなポーズを撮られるとは思ってもいなかったポチャリンは、恥ずかしそうにうなだれて、コンニャクを噛まずにゴクリと飲みこんだ。
「やあねぇ」
ノッコも有希も声をあげて笑った。
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