子母澤 類 金沢、艶麗女将の秘室
目 次
一、老舗料亭の熟女
二、豊潤な果汁
三、暗闇の愛撫
四、太陽の下の欲情
五、密室の秘戯
六、背徳の悶え
七、甘い蜜の陥穽
八、淫戯の代償
(C)Rui Simozawa
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一、老舗料亭の熟女
おもて門をくぐると、水を打ったばかりの延段が濡れて光っていた。鉄線のあざやかなむらさき色の向こうで、白い灯影がゆれた。
ゆれた、と思ったのは、かがんだ女のうしろ姿が、水をまくために動いたからであった。
柄杓を持ったまま背筋をのばした女は、かたむいた陽のなかに照らされた。女が首をめぐらせると、うつむきかげんの横顔が見えた。欣治が胸をつかれるほど、美しいおもざしだった。
引き寄せられるように、欣治は近づいていった。
「あの……」
めずらしく、梅雨のあいまに晴れた午後だった。陽ざしはすっかり弱まっていた。だが、からまりついてくるような夏の熱気が、ふいに欣治の体を包んだ。
茶の絣が映える白地の着物を、涼しげに身にまとっている。水をすくう手をとめて欣治を見あげる目もとから、女の憂いがゆらめいた。
落ちかかった日を浴びて、やわらかな輪郭をかたどった頬に、女は笑みを浮かべた。
「ようこそ、おいであそばせ」
妖艶な加賀美人だな、と見とれていたところで、欣治はあわてて手を横に振った。
「いえ、お客ではありません。京都から紹介を受けて、あさってからこちらでお世話になります、板前なんですが」
「あら」
女は気が抜けたような声をもらした。三十五歳の欣治と同じくらいに見えた女が、ふいに年かさになった。
「新しい板さん?」
「そうです。倉田ともうします」
桶の中の柄杓の柄をかきまわしながら、彼女は気忙しそうに早口で言った。
「まあ、それならすみませんけど、お客様以外は横の門から入ることになっていますので、そっちにお回りください」
言葉はていねいだったが、不愛想な口調だった。
「あの、門の横……ですか?」
「聞こえませんでした? こっちじゃなく、土塀沿いにある引き戸です」
「わかりました」
「ああ、これからまだ、せんならん事がいっぱいある……」
美しい曲線をえがいた眉をくもらせ、女はつぶやいた。去りかねて、欣治がぼんやり見つめていると、ふいに女が美しいまなじりを上げて、うるさそうに見た。
「もうすぐお客さんがいらっしゃるものですから……ああ、あっちです」
門を指すように、白い腕がさっと動くと、欣治の足元ちかくで水しぶきが散った。欣治はあわてて飛び上がったが、左足の裾が跳ねたしぶきで濡れ、水を吸った布地が足首にまとわりついた。
胸くそ悪い女だと思った。ここ「山の上楼」は、金沢で一流と言われている料理旅館である。そんな老舗に、これほどしつけの悪い仲居がいることに欣治はすこし失望した。
女は美しく、にらんだ目つきにぞくっとさせる艶があったからなおさらだった。
門の隅に置いておいたナイロンバッグひとつだけの荷物を持つと、欣治はもういちど門をくぐった。おもてに出てから土塀沿いにむこうを見ると、なるほど小さな引き戸が見えた。
木戸をのぞくと、たぶんまだ追い回しだろう。若い見習いが、野菜くずを捨てに出てきて、うさんくさげに欣治を見た。
欣治は厨房に、顔だけ出した。
「すみません」
声をかけても、誰からも返事がなかった。左手には、忙しそうに若鮎にのぼり串を打っている、小太りの男がいる。その奥には、大きなまな板のまえで、猫背になって刺身をひいている中年男がいた。
「あの、すみません」
欣治はジャマにならないように洗い場まで入ると、もういちど声をかけた。
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