子母澤 類 狂乱の狩人
目 次
「擬牝台」の上の新進建築家
恥辱されて燃え上るエリート官僚
フランス文学者のウタマロぶり
美女に蹂躙された推理作家
看護婦に嬲られた産婦人科医
いじめられ上手の映画監督
恋人の前で姦されたパイロット
煩悩を捨てた筈の宇宙飛行士が…
忽ち甦った不能外交官
美貌フルート奏者にはまった名指揮者
はじめての快楽に歓喜する数学者
これこそ本当の名人・千回磨いて鍛えた高等遊民
(C)Rui Shimozawa
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「擬牝台」の上の新進建築家
1
「ご趣味が合うか、心配なんですけれど」
萌奈美はおずおずと、銀色のリボンのついた包みを差し出した。
「ネクタイです。せめてこれは受け取ってください」
「なんだか僕の方が恐縮しますよ。コーヒーのシミくらい、どうってことないんですから」
アイスコーヒーのグラスを置くと、斉藤和人はまぶしそうに目を細めて萌奈美を見た。
塔野萌奈美の細おもての顔は涼やかで、二十六歳という年齢よりずっと若く見えた。ゆるやかなウエーブのある長い髪が、透明感のある美貌をきわ立たせて、可憐だった。
和人はガラスのテーブルごしに、ぎこちない仕草で包みを受け取った。
「いちおう、見ていただけます? お気に召さなければ、取り替えてきますから」
萌奈美は心配そうに和人を見つめた。和人は頬をあからめて、言われるまま包みを開いた。
ネクタイは流行のイタリアンブランドだった。牛の柄を文様化したようなすっきりしたデザインで、趣味のいいものだった。
「これはおもしろい柄ですね。うん、いいなあ」
和人はうわずった口調で言った。だが目線はネクタイではなく、萌奈美の顔に貼りついたままだった。
「うれしいわ。気にいってくださって」
肩先にかかる髪を、細い指で向こうに流しながら、萌奈美はやわらかく笑った。麻混紡の淡いブルーのスーツは、清楚な彼女によく似合い、さわやかな女の色香が薫ってくるようだった。
「昨日の設計コンペにいらしていたということは、あなたもどちらかの建築設計会社の方ですか?」
「ええ、設計事務所に勤めているんです。昨日のコンペですけど、斉藤さんの、あの卵形のドーム、とても斬新でしたわ。素人の私の目から見ても、斉藤さんの作品は意表をついていました」
「ありがとう。とすると、あなたは臨海プロジェクトに参加されているデザイナーですか? それとも」
「いいえ。私、ただのOLなんです。あの日は会社から、お茶くみに派遣されただけですわ」
萌奈美はティーカップをピンクのルージュの口もとに運びながら、くすりと笑った。
昨日、新宿のホテルで、東京湾に面した臨海副都心に計画されている国際会議場の設計コンペが行われた。会場で飲みものを運んでいた萌奈美は、新進の若手建築家、斉藤和人のカバンでつまずいてしまい、和人にコーヒーを浴びせてしまったのであった。
ネクタイが少し濡れただけだったが、これからプレゼンテーションのために、壇上に向かう矢先だった。斉藤はぴりぴりとしていた。
「何をするんだね」
と、文句を言うために開けた口が、そのまま止まった。泣き顔をして弁償させてくださいと言った萌奈美が、あまりに楚々としたいい女だったからである。
かえっていい機会とばかりに、和人は塔野萌奈美の申し出を受けて、同じホテルの一階にあるティールームで待ち合わせしたのだった。
「私、ホントに、何やってもドジなんです」
「そうは見えませんよ」
切れ長の瞳にいきいきした光をためて、萌奈美はまっすぐ和人を見た。
「だけどホントはよかったと思ってるんです。今をときめく若手建築家と言われている斉藤さんに、こうしてお話しできるんですもの」
「僕もよかった。おかげで、あなたのような美しい人と、知り合うきっかけができましたから」
「そんな……」
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