官能小説販売サイト 子母澤(しざわ)類(るい) 『祇園京舞師匠の情火』
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ざわ るい 祇園京舞師匠の情火

(C)Rui Shimozawa

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「いやあ、大勢さんのお人どすなあ」
 鴨川の涼みゆかから、つきがあきれたようなため息をついた。ごった返した人の波が、押しつ押されつうごめくように、四条大橋を渡っていくのが見える。
「そらそうえ。今日からおんさんやさかいになあ」
 四条大橋から河原町通り、または祇園や八坂神社へと、そぞろ歩いていくのはほとんどが観光客なのだろう。母のゆきも、よしでかこった小さなゆかから、人だかりの流れを目を細めて見物している。
 久しぶりの母子での外出だった。
 母とはいえ、桑原雪乃はまだ三十九歳の若さである。
 祖母秋子、雪乃、菜月と女ばかり三代の舞の家で、京舞のお師匠さんをしている。和服の趣味もずいぶん地味だが、すらりと立った姿は深窓で育ったお嬢さんのように端雅な姿である。
 桑原菜月は二十歳、やはり踊りで鍛え抜いているせいで、細身の柔肌にばねの強いしなやかさを隠している。
 菜月は雪乃が十九の時に産んだひとり娘である。菜月は今年ちょうど、その時の母の年を追い越した。
 ふたりで一緒に街を歩くと、母娘というより、仲のいい姉妹にしか見られない。
 毎年、菜月が母を連れてくる店は鴨川ぞい四条よりの貸し床で、料理は好みのものを専門の一流店から取り寄せてくる。
「お母ちゃん、今年もハモを予約しといたけど、それでええやろ?」
「へえ、おおきに」
 雪乃は色白の顔をすこしかしげて、団扇うちわをあおぐのと同じのんびりした口調で、あたり前のように言う。
「菜月にはお手数かけてすんまへんけどな、夏にハモを食べんことには、祇園さんが始まりますかいな」
「そやさかい、今年も堺萬はんにしたんえ」
 京の夏といえば祇園祭、祇園祭を京都ではハモ祭ともいう。梅雨の水を飲んだハモは、味も最高になる。とりわけ瀬戸内で一本釣りしたいきハモは、身も引き締まって歯ごたえがある。
 母の言う通り、菜月も七月の一日にハモを食べるのが、身体に染みついた習い性となっているらしい。
 七月の京都は、祭り月に入る。一日の「きっり」から、祇園祭の幕が開く。
 やまほこ町からは、祇園ばやしの練習の、かねや笛太鼓のにぎやかな音が、いっせいに聞こえてくる。コンチキチン、コンコンチキチン、コンチキチンという祭りばやしが、いっきに祭気分を盛り上げていく。
 歴史は古く、平安初期に疫病の退散を祈願して、鉾をたてたのが始まりといわれている。
 コンチキチンを耳にするだけで、菜月は子供のころと同じように、何となく心がはずんでくる。
 かといって、町方の娘に生まれたのなら、祭の興奮はもっと違ったものになっただろうが、色街で生まれた菜月の場合は少し違う。祇園祭を、母に連れていってもらった記憶がない。
 菜月は祇園に生まれ育った。
 女の子が生まれて、母も祖母もそれはそれは喜んだ。祇園の女の子は特別である。しかも、菜月の家はもっと特別だった。
 舞の家だったからである。
 祖母と母、二代にわたる女たちの大きな期待を背負って、菜月は三つの年から毎日、踊りの稽古をさせられた。舞妓さんになる年上の女の子に混じって、特に厳しく教え込まれた。
 祖母と母にとっては、学校の勉強などどうでもよかった。何よりも、踊りのお稽古がいちばん先だった。
 だから菜月は、子供らしい遊びをしたことがない。心がわきたつ祇園祭も子供が主役の地蔵盆でさえも、めったに行かせてはもらえなかった。
 コンチキチンのおはやは菜月にとって、子供心の寂しさと、舞の家という特別の家に生まれた気負いを、同時に感じる音になった。
 そんなことを懐かしく思い出しながら、菜月はかわの向こう、祇園の町の方に、ぼんやりと目をやった。
「お母ちゃん、見とおみ」
 ぼんぼりのあかりが灯るころ、落日の名残を受けた川上の北山が、あでやかな紫色の濃淡に彩られる。右の方に、ひときわ高くそびえているのはえいざんである。油照りと言われる、京の暑さも忘れるほどに美しい。
 
 
 
 
〜〜『祇園京舞師匠の情火』(子母澤(しざわ)類(るい))〜〜
 
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