末廣 圭 妖 花
目 次
プロローグ
第一章 代役
第二章 妖しいヴィデオ
第三章 勇気付けのキス
第四章 徒花
第五章 暗闇の陶酔
第六章 裏切り
第七章 むずかしい鍵
第八章 妖しい花
(C)Kei Suehiro
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プロローグ
春の訪れを一番身近に感じるのは、梅の開花だ。少し遅れて桜がほころび始める。自宅から歩いて数分のところにある公園の桜の老木並木は、満開になるころ、春の陽射しをいっぱいに浴び、薄桃色に輝くトンネルを作る。
甘くて爽やかな香りが全身をくるんでくれる。
近藤翼はその桜のトンネルを歩くのが好きだ。五歳のとき急逝した母親の名前は桜といった。その母親が一年に一度、決まった季節に天国から舞い降りて、美しい花を咲き誇らせてくれているような気分に浸れるからだ。
これが母親の匂いなんだろうな……、と。
自宅から歩いて通える都立高校に進学して、あっと言う間に一年が過ぎようとしていた。桜が散り、桜並木が新緑のトンネルに様変わりするころには、翼も二年生の生活に慣れているはずだ。
同じ学年の友達の中では、ぼつぼつ大学受験の話題が目立ち始めていた。塾に通っている仲間もいる。国立大学を目指すためには、受験勉強も始めなければならないからだ。
(ご苦労さんなことだ……)
そんな友達を、どこか醒めた目で翼は見ている。睡眠時間を削ってまで受験勉強をして一流大学に合格しても、それが社会人になったときどのくらい役立つのだと、むしろ気の毒に思えることもある。
そんな遠い将来のことは、誰も計算していない。
今目指すのは大学に入学することだけで、次の進路を具体的に決めている仲間はほとんどいない。
(ぼくには、きっちりした目標がある)
そのことは中学に入ったときから、揺るぎないものができあがっていた。
『鍵師』だ。
父親の近藤浩は東京都内でも二十人ほどしかいない『鍵師』で、警視庁の捜査官や裁判所の役人に同行して、犯罪者の家宅捜査に協力する。
ドアや金庫の鍵をまたたく間に開錠する技術は、神業だ。父親が持ち歩いている黒いバッグには耳かきのような金具、針金、ダイヤル式の金庫を開けるための増幅器といった七つ道具が納められていて、早朝、深夜に関わらず、連日のように出かけていく。
言うならばマルサの尖兵なのだ。
翼が父親から愛用の耳かきのような金具を渡されたのは、中学一年のときだった。お前も一流の鍵師になれ……、と。時間が空いたとき翼は、南京錠などの開錠訓練をする。
父親の見様見真似で、かなり高度な技術を身に付けるようになった。手先の器用さと聴覚の鋭さは、『鍵師』にとって必要不可欠なものだが、父親譲りの身体的機能は、抜群の資質を備えていたようだ。
目標がはっきり決まっているせいか、無意味な塾には通っていない。一週間に一度、英語塾に行っているだけだ。それも愉しみ半分で、大学受験のためのものではない。
大学に行きたくないわけではない。自分の能力に合った大学に合格すれば、それで満足だと思っている。
大学受験のために背伸びすることはない。
だから時間があれば、『鍵師』としての訓練を心掛けている。どんな鍵でも敏速かつ大胆に開錠してしまうためには、日頃のたゆまぬ訓練しかないと、父親には厳しく教えられていた。
そうした努力が指先の感度を、さらに鋭敏にしてきたようだ。
自分の指先や手のひらからは、一種の電気が発せられていることは、中学校三年のおり気付いた。童貞を「奪われた」女性から、告白された。
不思議な電気は女体の官能神経を昂ぶらせるようだった。その後経験した女性たちは、翼の手を握っただけで顔を紅潮させ、平常心を失い、全身に痙攣を走らせながら、自ら躯を開いていった。
そのせいか高校一年の十六歳の少年にしては、豊富な女性経験を積んできた。女体の神秘を指先に感じ、溺れ、堪能した。
開錠の訓練をしているとき、翼はときどき自分の手をじっと見る。
(ほかの人間と、どこが違うのだろうか……)
『鍵師』の訓練をしていて一つわかったことは、微細な鍵穴の構造が指先に伝わってくることだった。指先に全神経を集中させれば、見えない鍵穴の内部が、指先を通じて見えてくるようになった。
それは錯覚ではない。
目の底にかなり鮮明な映像が浮かんでくる。
ずいぶん以前、人間の不思議な超能力のことが話題になったようだ。スプーンを撫でているだけで、スチール製のスプーンをぐんにゃり曲げてしまう超能力男がテレビの話題を独占したらしいが、スプーンを曲げるより、指先に神経を集中させれば、見えないものまで見えてしまう能力のほうがはるかに優れていると、翼は考える。
(もっと訓練すれば女性のあそこの構造も、指先を挿しこんだだけで、見えてくるようになるかもしれない)
近藤翼はふと思いつき、身震いするような昂奮を覚えることが、しばしばあるのだった……。
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