末廣 圭 夢ごこち
目 次
プロローグ
第一章 初仕事
第二章 姉と弟
第三章 恩 師
第四章 童貞喪失
第五章 継 母
第六章 夜の散歩
第七章 ヴァージン
第八章 再 会
(C)Kei Suehiro
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プロローグ
パパとママはどうしてぼくに、こんなへんてこりんな名前を付けたのだろう……。小学校に通っていたころ速水百会は、子供心にも深刻に悩んだことがあった。
友だちから、名前をまともに呼ばれたことがなかった。
「ひゃく」とか「ひゃっかい」と、いい加減な呼び方をされた。「ひゃくえ」君と正しく発音してくれたのは担任の先生だけで、何度も悔しい思いをした。
今年、四十八歳になるパパは徳治で、四十五歳になるママは浩子だ。高校三年の姉は千絵だった。三人とも普通の名前なのに、どうしてぼくだけが……、と恨んだことさえあった。
自分の名前の謂れを正しく理解できるようになったのは、市立の中学校に進学したときだった。
そのとき百会は、思わぬところで『百会』の文字を発見した。
父親の徳治は百会の産まれる数年前に、自宅の一階を改装して、『速水指圧センター』を開業した。場所は千葉県浦安市美浜。二十数年前からそのあたり一帯には、高層階の大団地群が造成されていった。
徳治はそこに目を付けた。
近い将来浦安は、東京都内からの通勤圏になると判断した。サラリーマンの疲れた躯を癒す方法として、指圧は重宝がられるだろう。ありきたりの指圧治療院では、患者を呼びよせることができない。
その昔、漁師をしていた実父から譲り受けた自宅は、敷地だけでも二百坪ほどあった。患者をリラックスさせる方法として治療室のほかにサウナと、街の銭湯に負けない風呂場を造った。
さらに治療が終わった患者が、のんびり昼寝ができるようにと、畳敷きの休憩室までこしらえた。
徳治のアイディアは見事に的中した。
目論見と異なったのは、疲労や腰痛、肩凝りなどで指圧を受けにくる患者の大多数が、中年の女性だったことだ。が、どちらにしても、患者が大勢来てくれることに越したことはなかった。
徳治一人では治療が追いつかず、弟子を三人雇った。
十畳ほどの治療室には、薄い布団を六枚敷いた。一人の治療時間は原則として一時間とし、予約制を導入した。
中学校に進学したころから百会は、治療室での父親の仕事ぶりに興味を覚えた。学校から帰ると、ドアのガラス窓から覗き見することがしばしばあった。パパはマジシャンか、それとも催眠術師じゃないかと。
お医者さんのような白い治療服を着たパパは必ず、横向きに寝た患者さんの首筋のあたりから揉みはじめ、指先は肩から背中に下がっていった。
パパの指が患者さんの腰を押すころになると、それまで何かをしゃべっていた患者さんは、いつの間にか目を閉じ、眠りこけていた。
あんなところを揉んだり押されたら、ぼくはくすぐったくて逃げ出してしまいそうだ……。百会は不思議を見る思いで、父親の技術に感心した。
パパが偉いと思ったのは、患者さんが眠ってしまっても、決して力を緩めることなく、指圧のことなどまるで分からない自分にも、正しい姿勢を保って患者さんに接しているように見えたことだった。
その証拠は二十分も治療をしていると、パパの額に汗が滲み、タオルで何度も汗を拭っている様子からも察することができた。
『百会』の文字を見つけたのは、そんなある日のことだった。
縦が一メートル半、横幅が一メートルほどの大きなイラストが三枚、治療室の壁に貼られていた。イラストは女の人の裸で、『主なツボと経絡』となっていて、三枚のイラストはそれぞれ『からだの正面』、『からだの後ろ側』、『からだの側面』と記されていた。
イラストの女性の頭のてっぺんからつま先まで、いくつもの黒い点が描かれていて、そこから引いた線の先には細かな文字が書きこまれていた。
三枚を合わせると、その文字は百九十七もあった。おっぱいの先っぽは『乳中』、お臍のあたりは『関元』、腿の付け根は『陰廉』と書かれていたが、正しい読み方はまるで分からなかった。
あまり上手なイラストではなかったが、何度も見ているうちに、頭のてっぺんから引かれた線の先に『百会』の文字を見つけた。
その日の夜、百会は父親に聞いた。ぼくの名前と何か関係があるの、と。
晩酌のビールを、とっても美味しそうに呑んでいた父親が、ニヤッと笑った。
百会が産まれたとき、パパは治療の最中だった。お手伝いさんが治療室に飛びこんできて、たった今病院から連絡が入って、元気な坊やがお産まれになったそうですよと、教えてくれた。
そのときパパはちょうど、患者さんの『百会』のツボに指を当てていた。ほかに名前を考えていなかったわけではない。しかしどれもこれもありふれていて、どれにしようかと決めかねていた。
そのとき急に閃いたんだ、息子の名前は『百会』にしようと。『百』という数字は、数が多いとか、たくさんという意味も含んでいる。人間の基本的活動に関係するたくさんの神経が、この『百会』に集まっていて、『百会』のツボを丹念に押してやると、さまざまな病気の治療に役立つことになる。
頭が痛くなったり、ぼんやりすることもなくなるはずだ。だから百会は頭痛で悩んだりしたことがないだろう……。
名前の謂れを得意そうに話した父親を、百会はぼんやりした頭で見返した。頭が痛かったのは風邪を引いて高熱を出したときくらいで、学校の先生に怒られても、三分もしたらすっかり忘れてすっきりしていた。
でも、パパは変なことを言うと思った。もしそのときパパの指が患者さんのお臍のまわりを押していたら、ぼくの名前は『関元』になったのだろうかと。
『関元』なんて、中国の大昔の偉人さんみたいで、友だちにはもっとからかわれてしまいそうだ。
でもさ、ぼくはパパの跡を継いで指圧の先生になるつもりはないからね……。奇妙な名前を付けられてしまった理由を、半分くらい納得しながらも百会は、唇を尖らせて抗議したことを、まだはっきり覚えている。
そして二年……。
十四歳になった速水百会は、今、新たな目で父親の仕事を、注意深く見守るようになっていた。ほとんど歩けないほど体力の弱っていた患者さんたちが、薬を飲むこともなく注射をすることもなく、日増しに元気になっていく姿を、しばしば見掛けるようになったからだ。
そして心の内のどこからか、パパに負けない指圧師になってやろうという、強い意欲が湧きあがってくるのだった。
第一章 初仕事
十月の半ばなのに、とても暑い一日だった。授業が終わったあと速水百会は、校庭で友だちとサッカーをやった。運動は嫌いでない。水泳は得意のほうだったし、テニスもやる。中学校に入ってから急に身長が伸びはじめた。今は百六十六センチあって、体重は五十三キロになった。
体格の成長に連れて、一日に何時間か汗にまみれて運動をしないと、体力を持て余す気分に浸った。
三階建ての校舎の裏に西日が沈んだころになってやっと、自分の躯から余分な汗が全部出て、すっきりした。
学校から自宅まで、急ぎ足で十数分かかる。
(今夜のおかずは何かな……?)
カバンをぶらぶらさせて歩いていたら、お腹がキューンと鳴った。ママは料理が上手だった。でも、ときどき不満を感じた。ママの料理はどうやらパパの躯を考えた上での工夫で、野菜と魚料理がやたら多かった。
パパは朝から夜遅くまで、一生懸命お仕事をしているのよ。いつまでも元気で働いてもらうように考えてあげるのが、わたしの勤めでしょう……。ママの口から何度も同じ言葉を聞いたことがある。
たまには厚さが二センチくらいありそうなステーキを食べたいと思っても、食卓に載るのは一カ月に三、四回で、魚料理が恨めしかった。
しょうがないか……。パパとママが結婚したのは二十年も前なのに、ママはぼくよりパパのほうを愛しているみたいだから、子供は我慢しなければならないのだと、いつも百会は自分に言い聞かせる。
指圧センターの横にある自宅のドアを、勢いよく開いて飛びこもうとした。
ドキンとした。白い治療服を着たパパが、ラバーシューズを履こうとしていた。
「どこへ行くの」
いくらか戸惑いながら百会は聞いた。こんな時間にパパが出掛けることは、滅多になかった。シューズを履こうとしていたパパの手が止まり、顔が上がった。
何だか真剣な眼差しで睨まれた。
「百会、急なことだがパパの代理で、白石さんのお宅に行ってくれないか。知っているだろう、二丁目の白石裕二さんのお宅……」
「大学病院の先生の家……?」
「そうだ。奥さんの具合が悪いそうだ。眩暈がして胸が苦しいらしい。今夜、治療の予約は入っていたんだが、立つこともできないと、たった今、電話が入った」
変な話だよな……。ご主人は国立大学の付属病院に勤務する、優秀な内科のお医者さんだと聞いたことがあった。奥さんが病気で苦しんでいるのだったら、先生が飛んで帰ってくるべきじゃないか。
それを事もあろうに、指圧の先生に治療を頼んでくるなんて。
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