官能小説販売サイト 末廣圭 『埋み火』
おとなの本屋・さん


末廣 圭    うず

目 次
第1章 七年ぶりの再会
第2章 離れ座敷の一夜
第3章 悩める人妻
第4章 艶ボクロ
第5章 専務の娘
第6章 味見の果て
第7章 奇遇
第8章 女の幸せ
第9章 二十五歳の情欲

(C)Kei Suehiro

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 第1章 七年ぶりの再会

 いくらか肌寒く感じる夜風が、頬を撫でていく。俺もアルコールに弱くなったのかな……。どうもとけんいちろうはおぼつかないおのれの足取りに、苦笑いを漏らした。
 会社が退けたあと、池袋の西口にある行きつけのスナックで二時間ほど呑んだ。しょうちゅうのお湯割りを四、五杯空けた。
 その程度のアルコールではびくともしなかったのに、五十歳の大台を三カ月前に越した時点から、急に体力が弱まってしまったようななさを感じていた。
 四十九と五十では、たった一年の隔たりしかないのに、五十歳という年齢はかなり強烈なインパクトで、老いを宣告してくる。
 人間の体力は実際の力より、メンタルな部分で大きく左右されるものだ……。
 池袋から私鉄に乗って五つ目の駅に、堂本の自宅マンションはある。シートに座った途端、ひどい睡魔に襲われ、危うく乗り過ごしそうになった。
 まだ幾らかローンの残っているマンションは、駅から歩いて十数分にある。3LDKの間取りで二十二年連れ添った妻のと、二人暮らしだった。
 子供に恵まれなかった。
 何が何でも子供を欲しいとは思わなかったが、五十歳を迎えてみると、たまに寂しさを感じるときもあった。順調に子供が産まれていたとしたら、高校か大学に進学している年齢に達していてもおかしくない。
 女の子がよかったな……。
 そう思うこともあった。妻の美也子はなかなかの美人だった。俺だって男ぶりが悪いほうではないと思っている。身長は百七十八センチあるし、スナックのママにはやまゆうぞうとちょっと似ているところがあるわね……、とおだてられていた。
 したがって女の子が産まれていたら、それなりの美形に育っていただろう。仲良く腕でも組みながらデートをしたら、きっと気分も晴れただろうと、無いものねだりのわがままが、ときおり顔を覗かせるのだった……。
 自宅までの夜道をのんびり歩く。
 スナックで夕飯代わりのヤキソバを食べたから、満腹だった。
 美也子は留守にしているはずだ。
 今年四十六歳になった彼女は、数年前から山歩きを始めた。大袈裟な登山ではない、ちちおごあたりのちかの山を日帰りで歩く程度のことだが、一カ月に一度ほど山歩きの友人たちと山小屋に泊まることもあった。
 今日は珍しく長野まで遠出して、土曜日の夜に帰りますから……、と断っていた。
 子供がいないのだから、好きにするがいい。それほど金のかかる趣味ではないし、山歩きを始めてから元気になった。
 十数年住み慣れたマンションは、夜のしじまに没していた。それぞれの窓からは、まだ光が漏れているところもあったが、三階にある角部屋は暗闇だった。
ひと風呂浴びて、呑み直すか……)
 明日は土曜日で、会社は休みだ。
 四十代半ばまでは、必ずと言っていいほど、埼玉県にあるホームコースのゴルフ場に出かけていた。大学時代にゴルフ同好会に所属していて、腕には自信があった。
 オフィシャル・ハンデは5だった。飛距離も出たし、アプローチも得意としていた。仲間と連れ立って毎週のように熱中していたゴルフが、急につまらなくなったのも、五十の年齢を意識し始めたころからだった。
 ごろ寝を決めこんでいる土曜、日曜は、どうしてもアルコールの量が増え、いくらか腹もり出してきた。
 人間の老いは、まさに坂道を転げ落ちる小石のようなもので、自分の意思では止めることができない。
 妻の道楽に参加して山歩きをしてみようかと、そんなことを考えることもあったが、山を歩くのだったら寝っ転がってテレビでも見ていたほうが、はるかに体力が維持できるだろうと、乗り気にはならなかった……。
 人の気配を感じないマンションの鍵を、音が立たないように開けた。自分の家なのに、こっそり忍びこんでいくような自分の恰好に、堂本はまた苦笑した。
 郵便受けから夕刊を抜いた。
 一緒に白い封筒が入っていた。
(誰からだ……?)
 郵便受けに投げいれられるのは、新聞か近所のスーパーなどのチラシがほとんどで、封筒が入っていたのは珍しい。
 玄関の明かりをけて封筒を見た。
 宛名の大きな文字くらいは、老眼鏡を掛けなくて読むことができる。堂本健一郎様と、かなり達筆にしたためられていた。
 裏を返した。
(へーっ、じゅんからじゃないか……)
 ほろ酔い気分に、さわやかなそよ風が流れこんできたような気分に浸り、堂本は急いでリビングルームに歩いた。
 部屋の明かりを点け、もう一度、封筒の裏を確認した。差し出し人は間違いなくやま潤子となっていた。姓が変わっていないのだから、まだ結婚していないのだろう。住所は大阪府南河内郡河南町おおともとなっているから、住まいも以前と同じだ。
 潤子から手紙をもらうのは初めてだった。
 暑中見舞いと年賀状はりちなほど毎年くれていたが、文面は時節の挨拶程度で、いつも簡略なものだった。
 ソファに座りタバコに火をつけてから、開封する。
『堂本健一郎様
 ご無沙汰しています。お元気ですか。私は風邪一つ引くこともなく、元気そのものです。
 河内は稲刈りの季節も過ぎ、金剛山と葛城山から吹きおろす風が、秋の深さを感じさせるようになりました。
 月日の経つのはとっても早いですね。私が阿倍野の市役所にお勤めするようになって、五年になります。自分が二十五歳になったなんて、とても信じられないのです。
 もう、おばさんですね。
 出勤は大伴からバスに乗ります。朝は早いんですよ。六時のバスに乗りますから、起床は五時二十分です。覚えていらっしゃいますか? 富田林までの緑色のバスを。
 金剛バスに乗っていると、社会全体の動きはとっても素早いのに、のんびりとして平和な河内平野だけが、ひっそり取り残されているような感じも受けますが、私はこの景色がとっても好きで、いつまで経ってもお嫁に行かず、河内の在から離れられないのかも知れません。
 私、ときどき思い出します。まだ小学校に通っていたころ、叔父様に連れられてミカン山に登り、ミカンを泥棒して食べたことを。
 こんなにいっぱい実っているんだから、十個や二十個もらっても、分からないよ……。叔父様はそう言って、ニヤニヤ笑いながら皮を剥いてくれて、私の口に入れてくれましたね。
 そのことだけが、すごく印象に残っています。ですからミカン山がオレンジ色に染まってくる時期になると、急に叔父様のことが懐かしくなるのです。
 だって今でも、ミカンの季節になると、ミカンを食べすぎて、手が黄色くなってしまうんですから。
 いやだわ、私、何を書いているのかしら。
 きっと叔父様に会いたくなったんです。だって叔父様と最後に会ったのは、私が高校を卒業したときですよ。卒業記念だと言って、手提げのバッグをプレゼントしていただいたでしょう。今でも大事に使っています。
 会社のお仕事はお忙しいでしょうが、東京からだって新幹線と地下鉄、それに近鉄に乗って、富田林からバスに乗り継いだら……。やっぱりずいぶん遠いですね。
 でも会いたいんです。たまには私のわがままを聞いてください。
 ごめんなさい、取りとめもないことを書いてしまって。ほんとうはお電話でお話をしたかったのですが、少し恥ずかしくなって、お手紙にしました。
 できるだけ早く時間を作って、大阪に来てください。りたての河内ミカンは甘酸っぱくて、とっても美味しいんですよ。
 最後になりましたが、叔父様のご両親もお元気で、千早赤坂村で悠々自適だそうです。叔父様の弟さんが面倒を見ていらっしゃるんですね。
 たまには親孝行をしてあげて下さい。
潤子』
 手紙を二回読み直した。潤子の姿と一緒に、懐かしい故郷の風景が浮かんできた。


 
 
 
 
〜〜『埋み火』(末廣圭)〜〜
 
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