宮内 剛 色くらべ 日中おんな合戦
目 次
はじめに
第一章 神代から女はスケベだった
第二章 みさおを立てた女も多いぞ
第三章 突けば突くほど女はよがる
第四章 善女も悪女もみなスケベだ!
第五章 美貌で福マンとはニクイねっ
(C)Go Miyauchi
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はじめに
古来、古い文明のあるところには、スケベ度でも超クラスがごまんといる。男はもちろんだけど、女にもスケールの大きいスケベが多い。おとなりの中国もその一つだ。
なにしろ四千年以上の歴史を持つ国だし、うらやましいことに、早くから文字を使っていたので、彼女たちの記録も残っているわけ。有名な色女は、ざっとあげただけでも三〇〇人はくだらない。
でも、それをいちいち紹介するスペースはないので、そのうちの主な顔ぶれだけを取り上げることにした。もしこれが好評なら、ぜひ続編も書いてみたい。
ただ中国というと、若い読者の中には、あまり興味がないという人も多いだろう。そこで筆者が考えたのは、日本の色女と対抗させてみることだ(どうです、グッド・アイディアでしょう?)
そこで『色くらべ日中おんな合戦』というタイトルが生まれたのである。
筆者には、別に日本の色女だけを集大成した『日本色女伝』という著書もあり、一部の女性はそれとダブる。しかし、そちらを読んだ人でも、こんなふうにスタイルを変えれば、また面白く読んでもらえるのではないかな。
むずかしい人名や地名や役職名などは、どうしても必要なもの以外はできるだけはぶいた。エロ場面を多くして、ホイホイ楽しんでもらえるようにつとめた。
だから、とにかく最後までつき合ってください。お願いしますヨ。お願いしますゼ。
第一章 神代から女はスケベだった
1 子孫のためにと兄妹がセックス
女か 対 イザナミ
どの国にも、国始めの神話や伝説には、似たような話があるもんで、中国にも日本のイザナギ、イザナミの話と瓜二つの伝説がある。
中国の女神の名は女か。紀元前どころかずっと昔の神代の女性で、この世界を造ったヒトだという。
ヒトといっても顔は人間だが、首から下は蛇みたいな異様な姿だった、という説もある。
けど、蛇では気味が悪いから、豊満な肉体をした人間の女だったことにしたい。
彼女の実兄に伏羲というのがいて、二人は力を合わせて天変地異をくぐりぬけて、生き延びてきた。
しかし、両親もふくめて、ほかの者たちは死に絶えたもんで、
「これじゃ、われわれが死んだらおしまいだ。われわれがズイコンやって子孫をつくろう」
と、兄の伏羲が提案した。妹の女かは、
「アレは兄妹でやってはいけないものでしょう。誰かほかに女はいませんか」
と言ってためらった。
しかし、彼らのまわりの者は、みんな死んでしまったのだからいるはずがない。このままでは、二人が最後の人間になってしまう。
伏羲がそれを指摘して、
「兄妹だからどうした、なんて言っていられるときじゃない。やろう、やろう」
と迫った。女かは、
「それじゃ、私が木の周りを回るから、うまく捕まえてくれたら……」
と言って駆け出し、近くの巨木の陰にかくれた。
彼女は伏羲が右から近寄ると左へにげ、左から近寄ると右へにげた。二人とも同じ方向にぐるぐる回ることもあった。
しかし、いくら巨木を利用しても、いつまでも逃げ切れるものではない。やがて女かは伏羲に捕まり、草むらへ押し倒されてしまった。
それからは彼女はおとなしく両眼をつぶり、体を開いていく兄の手にまかせていた。胸いっぱいに盛り上がった二つの乳房が現れ、木もれ日に照らされた。エロチックというよりも、神々しいほど美しかった。
伏羲はその隆起を指でそっと撫でたり、プクンと突き出た乳首をつまんで軽くもんだりした。彼女はまだ処女なので乳首は小さかったが、それでも愛撫を加えるうちに硬く膨らんできた。
伏羲はいつまでも、女かの乳房を愛撫したり吸ったりするだけだった。なかなかそれ以上に進まないのだ。
時折り顔をすこし離して、輝くような白い肢体に見入っていた。女の体が美しすぎると、男は芸術的な感動にひたってしまい、かえってギンギラの欲情がわきにくい。
ヌードショーでも、近頃はダンサー希望者が多く、しかもインターナショナルなもんだから、妖精みたいな少女が少なくない。
妖精では、美しいけれど、ストライキほどのチン上げもできないというチン現象とは相なる。
その点、温泉地の宴会に現れるような踊り子のほうが、オッ立て力は強い。ややスタイルもくずれかかり、アソコも相当に使いこんでいて、色も形もいびつでワイセツそのものなのがいいらしい。
そのへんは女には理解しにくい点で、女は体が美しければ美しいほど、男の性欲を刺激するものと思っているフシがある。
女かもいくぶんそんな感じで、
(どうしたの?)
というふうに、かすかに眼をあけて兄の顔を見た。
伏羲はあわてて愛撫の手を下へのばし、両腿の間へねじこむ。そこはもうとろけそうなほど潤んでいた。肚をくくれば、女のほうが順応は早いのだ。
中国でも近親相姦はうとまれたが、それはずっと後の話で、大昔にはどこでも見られたこと。
伏羲は手のひらまで愛液にひたして、ソコをかきまぜながら、
「いい子をつくろうな」
とささやく。そろそろ入れるぞ、というサインである。彼はやっと芸術的な感動から脱し、一物も十分に硬くふくらんでいた。女かも腰をバウンドさせて挿入を促す。
ここまでくれば、勢いがついているから、スンナリと結合できる。あとはバカでもできるバカ突きで、ひたすら突きまくり、女は下から揺り上げる。
こうしてめでたく結ばれ、十か月のちには子供が生まれた。その子がさらに子どもをつくって、滅びそうになった人類を繁栄に導いたわけ。
伏羲の娘には洛妃というのもいて、これも親に劣らず有名だ。
中国の文学にはよく登場するが、母親が女かだったかどうかは不明である。
一方、日本のほうはおなじみの伊耶那美の尊。彼女は男の伊耶那岐の尊といっしょに、オノコロ島に降り立った女の神様である。
天の御柱のまわりを回りながら、男のイザナギが、
「私の成り余った部分を、あんたの足りない部分にはめこんでアレをやり、子供をつくろうじゃないか」
と誘う。
イザナミも内心はオーケーなんだけど、一応カッコをつけて柱の周りを逃げまわるわけよ。
女かと伏羲の場合とほとんど同じシーンで、人間の考えることは似たりよったりらしい。
御柱を回っているうちにイザナギに捕まり、イザナミは地面に仰向けになって体を開いていく。
といっても、体の半分は露出している貫頭衣みたいな服だから、裾をまくりあげれば下はスッポンポンだ。
ただ神聖な神様だから、ヘアも薄めで清潔な感じだし、アソコもこじんまりとしている。ムンムン、ムレムレというほど肉感的な迫力はない。房技も法曲献仙音なんか抜きのオーソドックスな交わり。しかし楽しむのが目的ではないからそれでいいわけ。
イザナギは自分のモノを立てて静かに挿入し、黙ってシコシコ引き送りをつづけた。それでもだんだん法華の太鼓になってくると、二人ともささやかなよがり声をあげて、悶え始めたのはイタシ方ないところか。
この結果八つの島が次々に生まれて、それが日本の島々になったという。
ところが最後に生まれたのが火の神で、こいつが母親のイザナミを焼き殺してしまった。
そこで彼女は黄泉の国へ隠れてしまう。そのあとの怪談風の後日譚も面白いけど、ここではカット。
中国の女かが全人類を繁栄させる元になったのに対し、イザナミはヤマトを造り、ヤマト人を増やすためにセックスをした女性だ。だからスケールの点では、女かのほうに軍配があがる。
けど、中国人は何事もオーバーで、人類発祥をうたったアダムとイブ的な伝説は、世界中のどこにでもある。
つつましく日本だけにしぼった点では、イザナミのほうがイイ感じ。さて、読者の判定は?
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