山口 香 愛欲天使〜夜の訪問者〜
目 次
第一話 燃えつきた女
第二話 行きずりの女
第三話 思い出の女
第四話 飛べない女
第五話 魔性の女
第六話 影武者の女
第七話 攻められ上手の女
第八話 幻惑の女
第九話 妻だった女
(C)Kaoru Yamaguchi
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第一話 燃えつきた女
1
駅前広場は金曜日のせいか、午後十一時になっていても、まだ飲み足りない顔をしたサラリーマン風の男たちでごった返していた。
星野春比古は、皮ジャンのポケットから煙草を取り出し、使い捨てライターで火を点けると、ゆっくりと歩き出した。
脇の交番を横目に裏手に入ると、飲食店ビルが並び、色とりどりのネオンが目に飛びこんできた。
スナック「風車」。縦長のビルの一階。黒塗りの厚い扉を押すと、アルコールの臭気と煙草の煙りの入り交じった、生ま温かい空気が降りかかってきた。
「いらっしゃい……」
マスターの太田健一郎が、グラスを洗っていた手をとめ、星野に声を掛けた。カウンターに腰を下ろしていたアベックが、チラリと視線を投げてきた。
十人座れば一杯になるカウンターと、二つのボックス席だけの、小さなスナックだった。
いまは、アベックとカウンター隅の女だけであった。
星野はアベックの背後を通り、女から一つ離れたスツールに腰を下ろした。間のスツールには、小型バッグを置いた。
太田が、おしぼりを差し出すと、それで顔を拭いながら、チラリと女を見た。
二十三、四だろうか。うつ向いて、じっと何か考えている感じだった。両腕をカウンターに突き、水割りのグラスを睨みつけていた。
「まず、ビールをもらおうか」
カウンターに、キープボトルが出されると、ふたたび煙草に火を点けた。
「どこへ行ってらしたんですか?」
「ええ、大阪の方へ取材に……」
グラスに注がれたビールを、のどに流しこんでいくと、身体がキューッと引きしまっていく。
「フリーライターってお仕事も結構大変ですね。あちらこちらへ飛びまわって」
「サラリーマン動めは向いていないみたいでね。気楽でいいよ……」
太田は五十歳になるという。星野がこの店に最初に飛びこんだ時、なんとなく包容力のある父親の雰囲気を感じていた。それ以来、週に一、二度は通うようになった。
太田は比較的無口だった。表情にもどことなく人生を達観している感じが漂っていた。
これまで、星野が太田について知ったことは、この店の近くのアパートに一人住まいであるということ。ずっと以前に離婚しており、ひとり娘は妻の方で引き取っているということぐらいだった。
「大阪へは?……」
「風俗ギャルの取材……マスターもどう、一杯」
星野がビールビンを持ち上げると、太田はカウンターの下からグラスを出した。
女がスツールから降りて、カウンター隅の電話を取り上げた。
コインを挿入し、番号をプッシュしていく。正面を見つめ、上半身を反り返した。ワンピースに包まれた胸が、大きく盛り上がり、女の動揺を示すように、ゆっくりと波打っていった。
太田は女にチラリと視線を投げてから、星野を見つめた。
(何か、この女!?)
太田の目の動きで、星野はピーンと感じるものをおぼえた。
顔を寄せ合うようにして話をしていたアベックが、スツールから降りた。
太田が二人の前に行き、カウンター越しに勘定を受け取った時、女は送受器をたたきつけるように元へ戻した。
ハンドバッグを持って、奥のトイレに入っていった。
「もう、四、五回目ですよ……ずっと電話を掛けているんです」
「でも、相手は出ているみたいじゃないの」
星野は女がコインを取らないのを見取っていた。
「そう、無言電話みたいなんですよ……相手が出ると、じっと黙っていて」
太田は上半身を乗り出すようにして、声をひそめた。
「初めてのお客?」
「そうです……一時間ぐらい前に来て、ああしてじっとしていて……あ、水割りで?」
太田はグラスに琥珀色の液体を注いだ。
女は戻ってきた。どことなく表情が明るくなっているように感じられた。
(化粧を直してきたな)
「もう一杯、水割りいただこうかしら……」
女は初めて星野の存在を意識したかのように、チラリと視線を投げ掛けてきた。
「あ、マスター、もしよろしければ、ぼくのを差し上げて……」
「あら、よろしいんですか」
星野はグラスを持ち上げ、水割りを口に含んだ。
「少しお話してもいいですか」
「ええ……それじゃあ、ごちそうになります」
「どうぞ、どうぞ……」
太田は二人の前から離れて、また洗い物をはじめた。星野は隣りのスツールを少し女から離して、腰を下ろした。
グラスを合わせ、お互いに視線をからませた。
女は五十嵐由理と名乗った。コンピューター会社のOLだという。
ウェーブのかかったセミロングの髪。少し額の広い丸顔。瞳の大きい目は潤いを漂わせていた。唇の間から白いきれいな歯が覗くと、どことなく幼さが残っているように星野には感じられた。
(肉感的な女だな)
それにしても、一体、何処へ無言電話などしているのだろうか?
恋人に? 不倫の相手に? それとも同性に?
「フリーライターって、すてきなお仕事ですわね」
「いやあ、組織に入れないだけですよ。自分一人で気楽に出来ますしね。でも、雑誌社から注文が来なくなれば、終わりですよ」
「サラリーマンなんてつまらないですわ。会社にがんじがらめにしばられて、何も出来ないんですよ。出世のこと、家庭のことばかり考えて、コセコセと働いて……」
由理は星野から視線を離し、また正面を向いた。その横顔がかすかに引き攣っているのを、星野は見逃さなかった。
サラリーマン風の三人連れがドアを開けて入ってきた。スーツを脱ぎ、壁のハンガーに掛けると、カウンターに付いた。かなり酔っている感じで、会社の同僚の話を、怒鳴るように喋った。
由理は黙ったまま、右手の薬指のリングを抜いたり、嵌めたりしている。
「もし、よろしければ、もう一杯お付き合いいただけませんか。ぼくは、どうせ帰ったってすぐに寝るだけですから」
「えっ、ええ、そうですね。なんだか、あたしも少し飲み足りない気分ですわ。お付き合いさせてください」
由理は、水割りのグラスを持ち上げると、残っていた液体を一気にのどに流しこんだ。
「じゃあ、ちょっとトイレに……マスター計算して……」
星野は由理の背後を通って、トイレに入って行った。
用を足して戻ってくると、由理はまた送受器を取り上げ、じっと前方を睨みつけていた。
しかし、「風車」を出ると、打って変わったように陽気になり、星野の腕を取り、胸許の膨らみに押しつけるようにしてきた。
星野は由理の乳房の弾力を肘のあたりに感じながら、駅前広場に出て行った。
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