飯干晃一 情欲ハンティング
目 次
1 情欲ハンティング
2 暴力的な女たち
3 魔女のロープ
4 髑髏の秘戯
5 本心でない殺人
6 狙 撃 者
7 色好みの背後霊
8 上野飢餓地帯
(C)Koichi Iiboshi 1987
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1 情欲ハンティング
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「ご町内のみなさま。まいどお騒がせいたします」
女の声が響きわたる。といってもハンドルを握る佐山次郎の横に女がマイクを握って乗っているわけではない。テープの声をボリュームいっぱいにスピーカーで流すだけだ。
「こちらは東京都指定の古新聞、古雑誌の回収業島崎商会、島崎商会でございます。古新聞、古雑誌のほかにもご不用品がございましたら、驚くような高値でお引き取りいたします。限りある資源をたいせつにいたしましょう」
トラックを停め、十分間はこのテープを流し、あとは人間の歩くぐらいのスピードでゆっくりと町内をまわる。
すると、古新聞の束を下げた主婦たちが姿をみせる。高層アパートだと、ベランダから手を振って古新聞を取りにこいと合図する主婦も出てくる。
佐山次郎は二十四歳だった。筋肉質で、色は浅黒いが、自分では男前だと信じていた。じっさいに眉の毛は濃く、二重瞼で、ほかの男にひけを取る容貌ではない。ただ惜しむらくは身長が一メートル六〇と小さい。そこで彼は一〇センチも底上げしたブーツをはいていた。
廃紙回収業はいやな仕事ではなかった。気ままな一人仕事だし、トラックを運転していれば済む。テープを流せば古新聞、古雑誌は向こうからやってくる。取りにきてくれといわれても苦にならない。一面識もない他人の家のなかをちらりと覗くこともできるし、古新聞を出す主婦の生活や環境を勝手に想像するたのしみもある。
おまけに身体が楽だった。雨が降れば荷台に幌をかぶせて急いで店に帰ればよい。はじめから雨ではその日は休日となった。雨の降っている時に、古新聞を出す主婦はいないからである。
それでいて、手取りは月に十三万円か、すこしがんばれば十五万円にもなる。住み込みで食事つきだから、手にするカネは自由に使えた。悪くないと彼は思っていた。
佐山次郎の故郷は徳島県の山間部だった。貧しい村である。母は彼が中学一年の時に死んだ。兄と兄嫁と父の四人暮らしである。兄は村で雑貨や食料品を売る何でも屋をやっていた。兄嫁はわずかな畑をやるほか、父といっしょに失対事業の仕事に出ていた。
父は山林伐採中に林材が崩れて大ケガをしてから、精神もおかしくなり、酒を飲むとしばしば大暴れした。一家はすさんでいた。兄が包丁を構えて、
「殺す」
と大声をあげると、父は地べたに座り、
「殺すんなら、殺せ」
とわめき立てた。
佐山次郎はこんな家にいたくないと思っていたので、中学をおえると、すぐ大阪の町工場に就職した。
きらびやかな大都会は彼の目を奪った。
一年も働いたあと、彼は深夜自分の勤めている町工場の事務室に忍びこみ、手提げ金庫をこじあけて現金十一万四千円を盗んだ。
嫌疑はすぐに彼にかかった。カネの使いっぷりが荒く服装に凝っていたので、工場主も工員たちも、
「これは、佐山のやったことやで」
と図星をさした。
白い目でみられていると知ると、彼は逆恨みして、夜、工場主宅の前で待ち伏せし、帰宅してきた工場主を角材で殴った。
もちろん彼は逮捕され、調べられた末、窃盗も自供した。
初犯ということで少年院送りとならずに、兄が身元を引き受けた。家裁にやってきた兄は、
「このクソ!」
と怒鳴って佐山次郎をぶん殴り、家裁の裁判官や調査官をびっくりさせた。兄は彼を徳島へ連れて帰った。
保護観察処分の身だから、佐山次郎はやむなく二十歳になるまで徳島の自宅で暮らした。働くといっても父や兄嫁といっしょに失対事業に出るしかない。
欝屈した日々が続いた。
みんな都会に出てしまって、村には若い娘は一人も残っておらず、彼は自らの性欲をもてあましていた。
自由の身になりたい、女とやりたいという二つの欲望に彼は苛まれたのであった。
二十歳になった。
待ちかねたように佐山次郎は何の魅力もない自分の故郷をとび出した。
めざしたのは東京だった。大阪はやはり前の事件のシコリが残っている。そして、都会への憧れという点ではやはり東京が大阪よりまさっていた。
東京へ出て何をするか。彼は何もきめていなかった。ただ憧れだけに身を焦がして佐山次郎は列車に乗った。
東京に着いて、彼が最も感動したのは若い女性の美しさだった。何ときれいな女たちじゃろう。目をみはるばかりである。しかしポカンと口をあけて女だけをみているわけにはいかない。
最初に彼が働いたのは新宿のパチンコ屋だった。それからメッキ工場の工員、ソバ屋の出前持ち、中華料理の見習いコックと彼は職を転々とする。トラックの運転手は彼のやりたい仕事だったが、経験もないうえに、大型免許もない。徳島で彼の取ったのは普通免許である。
「そんなにクルマに乗りたかったら、紙クズ屋という手があるぜ」
喫茶店のウエイターをやっている時に、バーテンダーのいった言葉が、きっかけとなった。それだと彼は思った。佐山次郎は休みの日に足を棒にして歩きまわり、墨田区内で廃紙回収業の島崎商会を自らみつけ出してきたのである。
店主はきっぷのいい人間で、従業員もみな親身だった。いいところをみつけたと、彼はこの選択に満足した。こうなると次に探すのは女ということになった。
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