山口香 『男になれないオトコたちへのH章〜男は男らしく、女は女らしく〜』
山口 香 男になれないオトコたちへのH章〜男は男らしく、女は女らしく〜
目 次
異常なM男さんブーム
セックスの悩み
――卒業しない若者たち
風俗はオンナが作る
セックスフレンド
――トレンドはダッチワイフ
恋人たちの性
夜の参考書
飽食とインポテンツ
喧嘩の効用
――元気は日常から
家族の原風景
――いいなァ大家族って
押さえりゃいいってもんじゃない
――管理教育の弊害
オスとメスの奇妙な関係
(C)Kaoru Yamaguchi
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異常なM男さんブーム
●マザコン――子供は親の持ち物ではない
一昨年の異常ともいえる「冬彦さん現象」。テレビドラマが火付け役になって、マザコンが一気に表面化してしまった。しかも、それをトレンディとか称してさわいでいる奴がいるとは、なんとなさけないことか。
なんどか、息子、娘が食い入るように見ているのを目にし、彼らの背後から覗き見するかっこうで見たことがある。
一緒に見るのに抵抗があった。他人のプライバシー、いや、それ以前の、あってはならない、絶対に自分のまわりにはいない、というものを盗み見ている気分だった。
「だらしない男だな。母親も母親だ。息子にベタベタするな!」
そう怒鳴りつけたい思いだったが、息子、娘ののめりこんでいる姿を見ていると、「お父さん、遅れている。古い、古い」で片付けられてしまいそうで、声が出なかった。ヘドが出そうな思いである。
途中でコソ泥のようにコソコソと自分の部屋に逃げこんで、さびしい思いをしながら水割りをチビチビ飲んだこともあった。
一人前の立派な青年が、母親または母親的な女性を思慕する。
わからないことはない、自分は母親の分身であり、母親は一番身近な存在である。
それにしても「冬彦さん」は異常だった。まるで幼児のように乳ばなれしていない、という感じだった。
子供が乳ばなれしていないのか、母親が子ばなれしていないのか?
私が思うには、母親の、子供に対する幼児期の教育に問題があったのではないだろうか。
いまの世の中、核家族時代。昔の大家族的な家庭はごくまれになってきた。
時代の流れで仕方のないことかもしれないが、その結果が「冬彦さん」を生み出したのではないか。
新婚時代は、夫婦二人のあまい生活をしたい。両親も、若い夫婦の気持ちをくんでくれる。そして、親と別居しての生活に入る。
子供は一人か二人でいい。多ければそれだけ親としての自分たちの負担も多くなり、一人の子供にかかる思い入れや費用も分散し、少なくなる。だから、子供は少なめでいい。
子供の将来を考えてのことは十二分に理解出来るが、母親は息子や娘に執心する。まるで彼女の生き甲斐であり、子供は母親のロボットと化してしまう。
冗談じゃない。親はなくても子は育つ、である。
幼稚園に入る前から塾、塾、塾。これじゃあ、飼い猫と同じじゃないか。思いきって、走り回らせたらどうだろうか。
団地生活なので、そんな広い場所はない。そのとおり。でも近くの公園があるだろう。そこへ連れて行って、ドロだらけになって遊ばせてみたらどうだ。きっと、子供は生きいきしてくるだろう。
以前、テレビのワイドショーかなにかで「英才教育をめざす」というような番組があった。
裕福な家庭の幼児ばかりが通う、有名な幼稚園をテーマに放映された。
なんと、母親が高級車の後部シートに幼児を乗せて送り迎えしているではないか。
電車の中では子供は立つものであると言われるように、幼稚園に行かせるには歩かせろ。歩くことによって、血のめぐりがよくなり健康になる。
嫉妬、ひがみ、ねたみ。私の幼稚園時代と比較して、天と地、天国と地獄、羽ぶとんを敷いたクッションベッドと板の間にゴザぶとんを敷いたほどのちがいだった。
ちくしょう、おれだって、あんな裕福な家庭に生まれればこんな苦労をしなくてすんだのに。
そう腹の内が煮えくり返ったが、ちょっぴり幼児がかわいそうに思えた。
私の幼稚園時代はブラブラ遊びながら通い、遅刻もいつものことだった。友だちとワイワイ、ガヤガヤ。途中、他人の家からのびている柿の木に登り、実を盗んで食ったり、いや、飢えていたのでむさぼり食っていた。
ところが、いまの子供は幼稚園時代から塾通いである。小学、中学、高校と学校と塾で一日はおわってしまう。
そして、受験時期には親子は臨戦態勢そのままになる。家庭内は凍りついたように冷えきってしまって、子供はイライラ、神経はピリピリ、親は子供の機嫌をとることばかり。親としての自覚を失ってしまったのかと思われるほど、自分の息子や娘にひれ伏している。
子供の将来のために、ガマン、ガマン。そう自分に言い聞かせているが、結果的には自己満足である。子供が有名大学に入り、有名大企業のサラリーマンになれば、世間的にも自分たち家族の評価が上がる、と考えているのではないだろうか。
でも、本当にそれが子供のためになるのだろうか。子供にすれば、迷惑千万ではないのだろうか?
子供にしても、そうである。生まれてからずーっと母親がそばにいてすべての物事をお膳立てしてくれているので、過保護になれきっていて、あたりまえになっている。当然、挫折経験なんてありはしない。まるで胎内にいるのと同じである。
挫折があるから、人間はたくましく成長するのである。
見合い、恋愛、すべて母の面影が付いてまわる。そして、母親の納得した女性と結婚。
しかし、妻はしょせん他人。その妻が他人であると意識した瞬間、強い衝撃を受けてしまう。
母だったら、こんな時、自分に対してこうしてくれるはずである、と思うと、妻に対して不信感を持ち、やがては口をきくのもいやになり、男性機能が不能にまで落ちこんでしまう。
極端かもしれないが、冬彦さん現象はそれに近いと考えられる。
そうなると、待ってましたとばかりに母親も、息子を他人の女に取られてなるものかと、自分が認めたにもかかわらず、息子の妻のアラ探しをはじめ、息子を嫁から取り戻そうとする。
妻と母親の女の戦争がはじまった。二人のまん中に入った息子は去勢された男も同然になり、オロオロ、オロオロし、最終的には、血を分けた母親の胎内に逃げこんでしまう。
なんとも、なさけない。金玉はなんのために付いているのか、わからないじゃないか。
生殖――たしかに、そのとおりである。しかし、ちょっと冗談ぽく言えば、「揺れ動く女ごころ」という言葉があるように、女性の胸は上半身でブラブラ揺れるが、男のモノは下半身に付いている。つまり、重心が低いのである。ドッシリと構えて、女同士の戦局をジックリ見て、「おれはおまえらのロボットではないぞ。オモチャじゃないんだ!」と母親と妻に向かって怒鳴ってみたら、スッキリするだろう。そのための気迫、男のプライドみたいなものも、ふくろの中に詰まっている。
男のプライドを忘れるな、と言いたい気持ちだ。
さびしい現象だが、マザコンけっこう。世の中の流れとして、仕方ないとして……でも、母親を反面教師として見つめてみると、また、マザコンくんに新しい女性の見方が生まれてくるかもしれない。
母親にそっくりな女性を好きになるのは、すばらしいことだ。だが、妻と母親との接し方とはちがう。母親にたよるような気持ちで彼女に接していたら、九〇%ぐらいの確立でフラれてしまうことはまちがいない。
マザコンくんに妻が求めているのは、自分をグイグイ引っぱって行ってくれる力強さ、たくましさである。
いつの世でも、女性は男性のたくましさを求めているのだから。
マザコンくん。お母さんは、おまえより先に死ぬ。妻は一応、おまえと一緒のころに死ぬ。
母親を大切にする気持ちはわからんでもないが、去勢された人間にだけはなるな、といいたい。
お母さん。息子や娘に自分の夢をたくしたい気持ちもわからないでもないが、子供のことを心配するのなら、彼らの夢をのばしてやり、突きはなしてみてはいかがだろうか。
そうして、子供にたよらない自分の老後を考えてみてはどうだろうか。
それも、息子や娘のことを考えた一つの愛情表現だと、私は思うが……。
〜〜『男になれないオトコたちへのH章〜男は男らしく、女は女らしく〜』(山口香)〜〜
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