香川 潤 青の時代〜前編〜
目 次
第一章 初体験
第二章 人 妻
第三章 技 巧
第四章 女教師
第五章 うらぎり
第六章 それぞれの道
(C)Jun Kagawa
◎ご注意
本作品の全部または一部を無断で複製、転載、改竄、公衆送信すること、および有償無償にかかわらず、本データを第三者に譲渡することを禁じます。
個人利用の目的以外での複製等の違法行為、もしくは第三者へ譲渡をしますと著作権法、その他関連法によって処罰されます。
第一章 初体験
昼間のことを思い出したら、また腹が立ってきた。
それで聖矢は、必要以上に力をこめて、車体をゴシゴシとこすった。
昼メシを食ってから、このアルバイトに来るために、自転車をこいで家を出た。いつものルートを通って、バイパスに出ようとしたら、美紀と藤井達也のやつがいっしょに歩いているのを見かけた。
手こそつないでいなかったけれど、なにやら楽しそうに談笑している。
聖矢はとっさに近くのコンビニの駐車場に自転車を突っこみ、ふたりを目で追った。
ふたりは反対側の歩道をこちらに向かって歩いてくる。
聖矢がいるコンビニの前まで来ると、美紀が、
「バイバイ、またね」
と、手を振りながら藤井に言うのが聞こえた。
「ああ、またな」
藤井が答え、そのまま通りすぎて行ってしまった。
美紀はしばらく藤井の背中を追ったあと、通りに視線を移し、車の流れがとぎれるのを待って、こちら側に渡ってきた。
そして、コンビニの前に立っている聖矢に、ようやく気づいた。
「あら、聖矢くん」
聖矢は怒りをおぼえながら、言った。
「おまえ、フタマタかけてんのか? おれと付き合うって言ったのは、嘘だったのか」
この春、二年生になったのを機に、聖矢は思いきって加納美紀に交際を申しこんだのだった。
美紀はかわいい子で、海王高校の男子生徒の間ではほとんど一番人気の女生徒だった。だから、当たって砕けろという気持ちで告白したのだ。
そしたら、あっけなく、
「いいよ」
という言葉が返ってきた。
「あたしも美谷くんのこと、好きだったんだ」
信じられないような言葉が返ってきた。
聖矢は有頂天になってしまった。
それなのに、今日のこの仕打ちだ。
藤井達也も聖矢のクラスメートで、聖矢はカート部にのめりこんでいるけれど、藤井のほうは女子に大人気のバスケ部のエースなのだ。身長も一七〇センチにわずかに足りないこちらに対して、藤井ときたら一七八センチもあるらしい。かっこいいのだ。
ひょっとして、美紀のやつ、藤井に乗りかえたのか? それなら、せめておれに一言あってもいいじゃないか。
美紀は一瞬びっくりした顔をしたが、すぐに言った。
「フタマタなんて、そんなこと、あたし、しないよ。なんで?」
「だって、いま、楽しそうに歩いてたじゃん、ふたりで」
言ってしまってから、聖矢は後悔した。なんだか、急に自分がみっともなく思えてきた。
嫉妬に狂う男……サイテー。かっこ悪い。
「なんでもないよ、藤井くんとは。ひょっとして、疑ってる?」
「そんなことはねーけどさ……話あるから、あとで来いよ」
「なに、話って?」
べつにとくに話のアテなどなかったけれど、そう言ってしまった。
「来たら話す」
「どこに行けばいいの?」
「バイト先。叔父さんのスタンド」
「わかった。行くよ」
それでふたりは別れ、聖矢はアルバイト先である松尾の叔父さんのガソリンスタンドにやってきたのだった。
いまは夏休みで、学校が始まるまでにはまだ二週間ばかりある。
夏休みの最初から、聖矢は部活の合間にガソリンスタンドで働いていた。
母親の弟である松尾の叔父さんは、ガソリンスタンドを経営しているのだ。松尾叔父は、学生時代はバイクレースの選手で、社会人になってからは怪我が原因でカートに転向して、たくさんのレースを走っている。外国でのレースにもいくつか出ている。いまでも、仕事の合間にサーキットに通っている。
聖矢にとってはあこがれの存在なのだ。
聖矢がカートを始めたのも、松尾叔父の影響だ。小学六年のとき、初めてジュニア用のカートに乗せてもらい、夢中になってしまった。以来、いろんなことを教えてもらっている。
高校はもちろん、カート部があるところに進み、カート部に入った。
自分のカートが欲しいと言ったら、叔父さんは「うちでアルバイトしろ」と言ってくれた。夏休みの最初から、部活の合間にガソリンスタンドに来て、まじめに働いている。
今日も美紀と藤井達也のことがあったものの、仕事を始めたらそのことはすぐに念頭から消えてしまった。
いま彼がみがいているのは、客が置いていったBMWだ。自動洗車機を通したあと、水滴を拭き取り、手作業でワックスをかけている。ハードタイプのワックスがけは、どうしても人間の手でやらなければならない。客もそれを望んで、けっこう高い作業代を払ってくれるのだ。
ドアの下のほうを、しゃがみこんでゴシゴシとやっていると、すぐに汗が吹きだし、いまは水をかぶったように汗ぐっしょりになってしまっている。
この車のオーナーは、たしか薬局のチェーン店のオーナーの息子だ。まだ二十代後半くらいなのに、役職についていて、高給をもらっているらしい。
(くそ、おれだって、学校を出たら、こんな車を乗りまわしたいよ)
しかし、聖矢の家は決して裕福ではないし、ましてや父親が会社の社長というわけでもない。いい車がほしければ、自分で稼ぐしかない。
いや、その前に、カートだ。いい車をカッコつけて乗りまわすより、自分のカートを整備して、レースで勝ちたい。あの表彰台に登れたら、どんなに気持ちいいことか……
別に金持ちになれなくてもいいから、コツコツと金をためて自分のカート買って、たくさんレースに出たいものだと聖矢は思った。
いつものように空想をめぐらせながら、無心に車体をみがいていると、頭上から声が聞こえた。
|