影村英生 新妻鑑定人
目 次
紅緋の章
白木蓮の章
臙脂の章
菖蒲の章
珊瑚の章
藤紫の章
孔雀青の章
紺瑠璃の章
(C)Eisei Kagemura
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紅緋の章
1
「大奥さま。社長の運気をひらくには、まず、天蠍宮の相手を、おさがしになることですわ。このかたはどうも」
テーブルの調査書類から、やっと顔をあげた女性易占家の嶋中晶光は、謎めいた微笑みとともに、切れ長の目を、ひたと据えてくる。
淡い縦縞入りフューシャピンクのパンツスーツが、光をのむような鮮やかな顔だちによく映える。
口数が少なく、化粧も抑えぎみだが、さりげなくネープシニヨンのおくれ毛をかきあげる晶光の仕草には、三十代半ばの洗練されたなまめかしさが漂う。
「そんなに相性が悪いかねえ。わたしゃあ、息子の安太郎の後添いにぴったりだと思うたんやけど。きょう、遊びにみえてるから、人相だけでも占ってもらえんかしら」
七十二歳の鍵谷津多子は、でっぷりと肥ったからだをソファから乗りだし、未練がましくテーブルの書類を手元に引きよせる。
「はあ。ご本人に気づかれないようにでしたら。でも、そのかたと、きちんとお見合いをなさったんでしょ?」
「いいや。いつのまにか、どこかでくっつきおって。なにしろ、有名な宝石店の娘さんだから放っておけんでしょうが」
ロイヤルブルーの派手なセーターを着こんだ津多子は、テーブルの縁に手をかけながら、やおら立ち上がった。
典雅なロココ調の壁面と、滑らかな大理石のマントルピースを配した鍵谷邸の応接室は、かなりの年代を経ている。
それでも、午後のひとときは、窓辺の日溜まりで、テーブルのあたりまで明るい。
カーテンを引き開けた出窓ごしに、広々とした庭園が眺められ、冬咲きのバラや、紅や白、色とりどりの残り咲きの山茶花が、華やぎをみせている。沈丁花の蕾も、わずかに膨らみはじめている。
東京・渋谷の南平台は、外国の大使館や、ドミニコ修道院のほか、高級住宅が多い。
なかでも、凝った西洋館と、由緒ありげな和風の建物が渡り廊下でつながる鍵谷邸は、ひときわ豪壮な景観を呈していた。
「あんた、こちらにいらっしゃい。気づかれんでよう見えるから」
年齢のわりには背丈の高い津多子につづいて内廊下を通り、この邸の主人、安太郎の寝室兼書斎の裏手にある納戸に近づく。
津多子に手招きされて、晶光も、するりと納戸に入りこむ。
「こうすると、はっきり見えるでしょ。亡くなった主人も、よう覗いたものよ」
タンスや長持ちが置かれた壁ぎわの一角に、古ぼけた感じの壁掛がかかっている。津多子が横にずらすと、小さな覗き穴が二個、両眼の間隔であいている。
納戸は薄暗いので、向こうからは滅多に気づかれない。
「いいんですの? こんなことなさっても」
「かめへん、かめへん」
男まさりの女傑も、少しは気がとがめるとみえて、声をひそめると、ますます関西弁が出る。
鍵谷津多子は、新宿に本店をかまえる南武百貨店の会長で、長男の安太郎は社長である。創業百五十年、呉服店からはじまる老舗デパートの雄で、一子相伝の世襲制。代々の社長は、初代安右衛門の「安」の字を受けつぎ、現社長の安太郎は、八代目である。
南武百貨店は、駅近くで立地条件がよく、都庁移転後、売り上げが急速に伸びている。従業員六千三百五十八名を数え、都会派百貨店を目指し、イメージ戦略に力を入れている。
津多子の次男、安彦は、三十九歳で副社長。欧米百貨店の買収に乗りだし、目下、海外出張中。妻子は別棟に住んでいる。
社長の鍵谷安太郎は、四十半ば。くっきりした輪郭の細面で、ゴルフで鍛えているので贅肉が少なく、年齢よりもずっと若々しくみえる。惜しむらくは、一年前に妻の弥生を亡くしていることだ。繊細で、不妊症の弥生との間には子どもはなかった。
それだけに、母親の津多子は、再婚を願い、一日も早く後継者をと望んでいるのだが、当の安太郎は、たまに女遊びはしても、ビジネスオンリーで、なかなかその気にならない。
(母さんが選んでくれれば、だれでもいいよ。どうも弥生が忘れられなくて)
こうなると、どうしても津多子が腰を上げなくてはならない。しかし、現実は、帯に短し、襷に長し、である。
易占家の嶋中晶光は、父親の象堂の時代から鍵谷家に出入りしている。象堂は吉方位の大家で、実によく当たる。代々占いの家系で、開運、家相、運勢鑑定に至るまで、鍵谷家から絶大な信用を得ている。
象堂亡きあと、娘の象子は、晶光と名を改め、東西の占数術をミックスして、総合的に易占する研究をはじめ、よく当たるので、しばしば津多子を驚かせている。
結婚運の占いには、生まれた干支のほか、時間の星の配置や、守護星を重視するのである。とはいえ、究極には父子相伝の陰陽貴相譜を礎とする。
すなわち、女性の陰相が要である。
津多子は、単純に、さそり座の女がいい、と思いこんだが、実は、陰相が最大の難関なのである。これはまだ話す段階に至っていない。
男まさりの女傑にうながされ、晶光が覗き穴に耳を近づけると、若い女のなまめかしい喘ぎ声がきれぎれに伝わってくる。
「あうう、しつこく舐められると、おしっこが洩れそう。おねがい、じらさないで。入れてちょうだい、思いきり乱れたいんだから」
晶光は耳を離し、目を覗き穴に近づけた。津多子が囁きかける。
「あの子たち、書斎で話してるんだろ。彼女の人相、しっかり鑑定してもらいたいわ」
「ええ」
晶光は頷いたものの、若い女は、書斎どころか、間近の寝室のベッドに仰向けになった安太郎の顔の上にまたがり、もじゃっとする陰毛をかきわけられ、ヌメヌメと舐め上げられているのである。
二人とも全裸である。
華麗なテーブルセンターと椅子の上には、真冬の森林を思わせるようなヘーゼルブラウンや、ブリックレッド、オリエンタルブルーなどの色を織り込んだ椅子縞のチュニックジャケット、こっくりとした栗色のキュロット、黒革の細ベルト、ブーケ柄のシャーリングキャミソール、フレアーパンツ、ショーツ、そしてワイヤー入りブラジャー、パンティストッキングなどが散らばっている。
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