官能小説販売サイト 由紀かほる 『黒鹿の祝祭(前編)〜堕天使の肖像〜』
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由紀かほる   黒鹿ルシファーの祝祭(前編)〜堕天使の肖像〜

目 次
1st stage
2nd stage
3rd stage
4th stage
5th stage
6th stage
7th stage
8th stage
9th stage

(C)Kaoru Yuki

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   1st stage

     1

 足の裏に触れる砂が熱い。親指と人差し指の狭間で、その砂をしっかりと踏みしめて、はるかしいは両足を開いて腰を落とした。
 三色にカラーリングされたボールが、ネット越しにシドニーの空に吸い込まれるように高々と舞い上がった。
 生あたたかい風が、コートの中を駆け抜けていった。汗をかいた身体には甘美なほど心地良く、椎名は子供の頃の記憶を、一瞬呼び覚まされた。
 ユニフォームである水着は、一切の無駄をなくした超ビキニのハイレグ・タイプだ。
 強打か、フェイントか、右サイドか、左サイドか。
 ジャンプする相手であるブラジル選手の動きを、椎名はミラー・タイプのサングラスの中から追った。
 褐色の足が砂を蹴って、一九〇センチの身体が宙に舞った。
 そのしなやかな身体と、天性のバネの豊かさに、これまで何度苦い思いを味わってきたことだろう。
 が、うらめしさはなかった。むしろ、しっさえかき立てるせんぼうが、いつも椎名の中にうず巻いていた。実際、世界ランク一位のブラジル選手たちを、椎名は美しいと感じ、憧れ続けてきたのだった。
 その相手とオリンピックという大舞台で当たる――決勝ではなく、三位決定戦というのは残念だが、少なくともこの四年間の努力が無駄ではなかったという一つの証明ではあった。
 前回のアトランタで、日本チームは四位。ただし、椎名はインドア・バレーの代表で、今のパートナーである桜井弓子が残した成績だった。
 インドアで、日本女子バレーは屈辱の九位だった。当時、国内リーグでMVPに輝いた椎名は全日本のエースでもあった。
 が、一七〇センチのエース・アタッカーが通用する時代では、もはやなかった。
 世界の壁は厚い。とてつもなく厚いことを、椎名はイヤというほど思い知らされた。
 それはまた、六人制バレーという競技が、すでに限界を迎えたことを実感したときでもあった。
 世界から選ばれた大男大女が跳んだり転ったりするには、15×9メートルのコートではもはや小さすぎた。
 テクニックや作戦面にはほとんど進歩がなく、あるのはどれだけ高いか、強打が打てるかが問われるばかりとなっていた。
 その点で、二人だけでチームを組むビーチ・バレーには面白さがあった。高いだけ、強打だけでは勝てない。パートナーとのコンビネーション、相手との駆け引きが必要とされた。
 それに新しいスポーツというのはいい。伝統やしがらみがないからいい。
 信じられない話かもしれないが、バレー界では未だに「気合いだ」「根性だ」という精神性が重視されているのだ。気合いでメダルが取れるなら、誰も苦労はしない。
 悪名高き陸連、高野連は言うまでもない。かつて日本のお家芸とされてきた柔道、体操、バレー、水泳界でも事情は同じである。
 敗戦直後にオリンピックでメダルを取り、日本国民に希望を与えた往年の名選手が、五〇年後の今も妖怪のように、醜怪な姿で堂々と君臨し続けている。
 その老人たちのせいとなった多くの選手たちに、シドニーに来られなかった千葉すずに、椎名は深く同情する。
 赤のトップスに黒いハイレグの極小の水着は、このコートの中で、自分が自由であることのあかしとも言えた。
 しがらみも伝統も政治もここにはなかった。あるのは裸の自分、頼れるものもないが、それだけ自由である自分だった。そして、それを支えるこの肉体が、筋肉の一つ一つが、研ぎ澄まされた本能で反応をくり返す神経の働きが、椎名はひどく好きだった。
 14‐13、スコア・ボードの点数はなかなか動かなかった。日本チームが先にマッチ・ポイントを迎えながら、14‐9からジワジワと追い上げられ、同点に追いつかれようとしていた。
 今、サーブ権はブラジル・チームにあった。このスパイクを決められたら、形勢は逆転する。
 ブラジル選手が身体をひねった。クロスに打つ形だ。が、そう見せかけて、ストレートを打つ場合も少なくない。実際、この試合だけでも、何度かそのフェイントに引っかかってきた。
 クロスだ――思うより早く、身体が跳んでいた。一か八かの賭けだった。いや、それとも本能かもしれない。すでに、体力は消耗している。無駄な動きは許されなかった。
 が、反応して右サイド・ラインに向かって、横っ跳びになる身体を、椎名自身が止められなかった。
 オン・ライン寸前で、手首がボールに触れた。
 跳ね返ったボールは、鋭角にネットへ返った。それを、桜井弓子が掌で叩く。角度を変えたボールは、意表をついたコースへ跳んで、相手側のコートのバックの左サイドへ落ちた。
 拍手と歓声を、椎名は陽光の強さと、頬から口の中にまでついた砂の味とともに、その後忘れることがなかった。
 弓子がサーブに立った。フローターで打ったボールは、ネットすれすれを跳んで、そこからストンッと落ちていった。
 跳び込んだブラジル選手の指先がわずかにボールに触れた。が、返ってきたのは、ネット下を通過したボールだった。

     2

 シェービング・クリームをてのひらに取ろうとして、かずは洗面台の鏡に向かって怒鳴った。
「おい、シェービング・クリームがないぞ、みず
「新しいのが棚にありますわ」
 キッチンの方から妻の声がした。
「棚って、どこだ」
 たとえ眼の前でも、横になったものを縦にするのも嫌いな性格だった。
 
 
 
 
〜〜『黒鹿の祝祭(前編)〜堕天使の肖像〜』(由紀かほる)〜〜
 
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