北原双治 昏き闇の野獣
目 次
第一章 黒の依頼人
第二章 熱い誘い
第三章 蒼い女豹
第四章 閉ざされた夏
第五章 哀しき別れ
第六章 蹂躙の檻
第七章 夕陽の闘い
(C)Soji Kitahara
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第一章 黒の依頼人
1
小型のナイフはハンドバッグの中にある。
岡村佐代子がナイフを金物店で買ったのは、昨日の午後であった。
強風をともなった雨が、幅広のウインドウに吹きつけていた。
部屋に入って、三十分ほど経っていた。
東京・丸の内の堀端に面したホテルの、一室だ。丁寧な挨拶を交わしてからと考えてきたが、旨くできたのか覚えていない。息せき切るように話し、懇願した。
相手は熱心に耳を傾けている。説得が功を奏したように見えた。
「……わたしは、主人の汚名を晴らしたいだけなんです」
真っ直ぐに、彼の顔を見つめた。
「お気持ちは、よく分かりますよ。しかし、もう世間では忘れ去ったことじゃあないですか。それを……」
最初に出てきた言葉が、それだった。
顔色一つ、変えていない。
「そんな言い方って、酷すぎますわ。江端さんのために、彼がどれだけ骨身を削って、研究に打ち込んだか、ご存じでしょう」
気持ちの抑えが、利かなくなっていた。
膝の上のハンドバッグを握り締める。雨垂れがウインドウを滑る。全てを洗い流してくれる雨だとおもった。
「彼には、本当に気の毒なことをしたと、おもってますよ。彼の尽力がなければ、空中探査装置GXも開発できませんでしたからね。お蔭で、鉱床地帯をやっと特定できましたよ。まもなくボーリング作業に取り掛かれるところです。彼のことは、私が一番評価してますよ」
「だったら、主人のために……」
「奥さん、いや佐代子さんだ。少し、お疲れになってるのと、違うかな。顔に出てますよ」
言いながら、江端隆弘が椅子から立ち上がった。
上着を脱ぐ。
岡村佐代子が腰を浮かしかけたとき、彼の手がニットの胸許を捉えていた。
「失礼な。そんなつもりで来たんじゃあ、ありません」
ニットの上から乳房を掴んだ手を振り払い、岡村佐代子は毅然と言った。
「ほう、じゃあどんな理由でホテルの部屋まで来たと言うのかね。体が疼いてるのと、違うかな。私が慰めてあげますよ」
抱えられ、唇を押しつけられる。
「何を、するんですっ」
胸を突き飛ばした。
ハンドバッグの蓋を開ける。差し入れた手が震える。
「慰めてあげると、言ってるんだ……」
彼の顔は強張った。
身構える間もなく、頬を張られた。稲妻が瞬いたと、おもった。しっかりと握ったはずのナイフが、床に転がっていた。
腰がわなわな震えた。
「体が疼くと、女はヒステリーを起こす。良くないな」
その場にそぐわないほど、穏やかな声だった。
反射的に、岡村佐代子は床のナイフに手を伸ばした。
届かなかった。江端隆弘の革靴を履いた足が、ナイフをさらりと払っていた。右腕を抱えられ、藤色のアンサンブルの上着を、剥ぎ取られていた。
抱えられたまま、ベッドへ引きずられる。
強い力だ。圧迫された乳房が痛く、息が吐けなかった。声を張り上げることも出来ないまま、ベッドへ運ばれる。
必死で抗うべきか、考えた。蹂躪されるのは、分かっている。江端隆弘に体を開くのは、初めてではない。一年前に抱かれている。
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